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この資料集は吉波伸治(よしなみのぶはる)公式WEBサイトに掲載された資料の1部を収録したものです。

 Think Globally ,Act Locally シンク・グローバリー、アクト・ローカリー
   ~地球規模で考え、足元から行動せよ~

この資料集は、Act Locally に係る資料を集積・提供いたしております。

)Think Globally に係る資料を集積・提供している「資料室」はこちらです。

 

 

 

 

 

 

生駒市立幼稚園預かり保育

<20(R2). 4.22>市立幼稚園の預かり保育についてのお知らせミラー 

<20(R2). 4.17>市は料金改定ミラーを発表(報道資料.pdf) 

<20(R2). 4.16>臨時教育委員会・・・ 料金改定案承認(報道記事.jpg報道記事.jpg) 

<20(R2). 3. 4>3月定例議会<~20(R2).3.27>予算員会にて予算原案否決、見直し予算案上程、最終本会議にて見直し予算案可決(ご参照) 

<20(R2). 3.25>定例教育委員会・・・料金改定案が提示されるも不承認(報道記事.jpg 

<20(R2). 3.13>3月定例議会市民文教委員会 調査(委員会資料.pdf報道記事.jpg報道記事.jpg

<20(R2). 3. 9>子育てママを支援する会が市長に、料金値上げ撤回を求める署名提出(報道記事.jpg報道記事.jpg

<19(R1).10. 1>料金値上げ・・・値上げ後ミラー値上げ前

2020年 3月定例議会

議案一覧(開会報道記事なし)<議案付託先一覧表>  市長記者会見(2月25日).pdf記者会見資料.pdf   日程   一般質問

注目議案・賛否の分かれた議案

令和2年度一般会計予算案  : 広報「いこまち」(20年5月1日号)[特集]令和2年度 生駒市の予算.pdf

  ①予算案の概要.pdf新規・主要事業調書.pdf   ②予算委員会で付託審査   ③反対討論6・賛成討論2

   ③審査概略・吉波討論・採決等⇒市議会だより 2020年3月議会ご参照

(2)主要農作物種子法にかわる県条例の制定等を求める意見書.pdf   

  ①企画総務委員会で付託審査   ②吉波討論・採決等市議会だより 2020年3月議会ご参照

  ③ご参考:種子法

(3)公共施設等総合管理基金の設立

  ①予算委員会(企画総務分科会)で付託審査   ②反対なく可決   (議案説明会での)議案説明.jpg

(4)放課後児童健全育成事業の設備及び運営に関する基準の一部改正

  ①市民文教委員会で付託審査   ②反対なく可決   ③(議案説明会での)議案説明.jpg

(5)公の施設の区域外設置及び利用

  ①都市建設委員会で付託審査   ②反対なく可決   ③(議案説明会での) 議案説明.jpg

(6)<追送議案 >児童生徒一人一台の端末整備にかかる予算措置(第9回一般会計補正予算)

  ①予算委員会(市民文教分科会)で付託審査   ②反対なく可決   ③(議案説明会での)議案説明.jpg

 *説明:通常の議案は、本会議開会に先立つ議案説明会までに議会に上程されるが、「議案(追送〔提案〕分)」(追送議案という)とは本会開催中に上程された議案、「議案(追加提案分) 」(追加議案という)とは本会議最終日に上程された議案のことです

委員会の調査事項<資料はこちらまたはこちら

(1)都市建設委員会所管・・・①県営水道一体化構想   ②学研北生駒駅中心地区まちづくり

(2)市民文教委員会所管・・・①学校教育のあり方検討委員会からの答申  ②「第2期子ども・子育て支援事業計画」の策定  ③市立幼稚園の預かり保育利用料金の変更  ④第2次生駒市教育大綱(案)に係るパブコメの実施  ⑤「災害廃棄物処理計画」の策定

(3)企画総務委員会所管・・・「第2期まち・ひと・しごと創生総合戦略」の策定

(4)厚生消防委員会所管・・・令和2年度生駒市立病院事業計画書

【4】その他

(*)全員協議会にて、行政組織の改編<広報「いこまち」(20年5月1日号)ご参照 )についての説明がなされた。

*議会報「市議会のうごき」最新版とバックナンバー

2020年 2月臨時議会

議案一覧(開会報道記事なし)<議案付託先一覧表>  市長記者会見なし   日程   一般質問なし

注目議案・賛否の分かれた議案

(*小中学校の通信ネットワークの整備にかかる予算措置(第7回一般会計補正予算)

   ②予算委員会(市民文教分科会)で付託審査   ③反対なく可決    (議案説明会での)議案説明 

委員会の調査事項なし

*議会報「市議会のうごき」最新版とバックナンバー

2019年 12月定例議会

議案一覧(開会報道記事なし)<議案付託先一覧表>   市長記者会見(11月25日):記録.pdf提出案件.pdf補足資料.pdf   日程   一般質問

注目議案・賛否の分かれた議案

)行政組織の一部改正

  ①企画総務委員会で付託審査   ②賛成12・反対11で可決   (議案説明会での)議案説明.jpg

)理事者(市長等)と議員の給与等を規定している4条例の改正

  ①企画総務委員会での付託審査   ②反対9(吉波、沢田・加藤・山田・中尾・梶井・松本の7議員、共産2議員)賛成14で可決。   ③人事院勧告に伴う国家公務員の特別職の給与増額改定に伴い、理事者と議員の期末手当の支給額を増額(3.35月から3.4月へ)するもの。

(3)手話言語の普及並びに障がいの特性に応じた多様なコミュニケーション手段の理解及び利用の促進に関する条例の制定 

  ①厚生消防委員会で付託審査   ②反対なく可決   ③(議案説明会での)議案説明.pdf

(4)保育所の設置 

  ①市民文教委員会で付託審査   ②反対なく可決   ③(議案説明会での)議案説明.jpg 

(5)下水道事業の設置等

  ①都市建設委員会で付託審査   ②反対なく可決   ③(議案説明会での)議案説明.jpg

(6)体育施設および生駒北スポーツセンターの指定管理者の指定

  ①市民文教委員会で付託審査   ②反対なく可決   ③(議案説明会での)議案説明.pdf

  ④参考・・・生駒北スポーツセンターの指定管理者候補者決定ミラー提案内容の概要.pdf審査結果報告書.pdf

(7)教育委員会委員の任命

  ①全協にて質疑   ②討論・採決結果は、議会報「市議会の動き」NO.141をご参照

(8)<追送議案*>病児保育事業への補助にかかる予算措置(第6回一般会計補正予算)

  ①市民文教委員会で付託審査   ②反対なく可決   ③(議案説明会での)議案説明.jpg説明資料.jpg

 *説明:通常の議案は、本会議開会に先立つ議案説明会までに議会に上程されるが、「議案(追送〔提案〕分)」(追送議案という)とは本会開催中に上程された議案、「議案(追加提案分) 」(追加議案という)とは本会議最終日に上程された議案のことです

委員会の調査事項<資料はこちら

(1)都市建設委員会所管・・・なし 

(2)市民文教委員会所管・・・➀災害廃棄物処理計画(案)に係るパブコメの実施   ②今後の生駒市立小・中学校のあり方について(案)に係るパブコメの実施   ➂給食費の改訂   ④第2期子ども・子育て支援事業計画(案)に係るパブコメの実施   ⑤今後の市立幼稚園のあり方について(案)にかじゃるパブコメの実 

(3)企画総務委員会所管・・・➀第2期まち・ひと・しごと創生総合戦略(案)に係るパブコメの実施   ②「生駒市行政改革大綱」及び「生駒市行政改革大綱前期行動計画」の策定 

(4)厚生消防委員会所管・・・令和元年度生駒市立病院中間報告 

*議会報「市議会のうごき」最新版とバックナンバー

2019年 9月定例議会

日程  議案一覧(開会報道記事なし)<議案付託先一覧表>   市長記者会見(8月23日)<提出案件.pdf補足資料.pdf質疑応答.pdf>    一般質問

注目議案・賛否の分かれた議案

印鑑条例の改正

   ① 市民文教委員会で付託審査   ②反対なく可決    ③(議案説明会での)議案説明.jpg

成年被後見人等に係る7条例の改正

   ① 即決(付託審査省略)   ②反対なく可決    ③(議案説明会での)議案説明.jpg

)一般職の会計年度任用職員制度の創設等

   ① 企画総務委員会で付託審査   ②反対なく可決    ③(議案説明会での)議案説明.jpg

家庭的保育事業の義務緩和

   ① 即決(付託審査省略)    ②反対なく可決    ③(議案説明会での)議案説明.pdf

)<追走議案>脱炭素型地域づくりモデル形成事業委託[全額環境省の補助事業](第4回一般会計補正予算)

   ① 予算員会(企画総務分科会)で付託審査   ②賛成18・反対5で可決    ③(議案説明会での)議案説明.jpg

12の決算議案

 ①決算審査特別委員会で付託審査  ②一般会計決算については、反対(3)あるも認定。他のものについては、反対なく認定。  ③附帯意見が付与された。

委員会の調査事項⇒資料はこちら

)都市建設委員会・・・なし

)厚生消防委員会・・・①市立病院 平成30年度実施状況調査報告書   ②地域包括ケアシステムの深化・推進

)市民文教委員会・・・なし

)企画総務委員会・・・「生駒市行政改革大綱(案)」及び「生駒市行政改革大綱前期行動計画(案)」に係るパブコメの実施   ②「生駒市農業ビジョン」の策定   ③地域と防災

議会報「市議会のうごき」最新版とバックナンバー

生駒ふるさとミュージアムの生駒の歴史と文化に関する講演会等   

<この記事は、生駒検定<全国版><問26>生駒の歴史生駒の神話の参考記事です。>

生駒の歴史と文化入門講座

20(R 2). 3.21(新型コロナウイルス感染拡大防止のため、中止)<鷹山家文書調査報告書発刊記念講演会(於:生駒ふるさとミュージアム)>(「大和武士 鷹山家を語る」と題した講演会 )・・・奈良市興福院に伝わる「鷹山家文書」をもとに考察した、鷹山家の活動から戦国期の大和や生駒をはじめ諸国の様子が分かる報告書を発刊。発刊を記念し講演会を開きます。天理大学文学部歴史文化学科准教授の天野忠幸さんによる「大和を超えて活躍した武士・鷹山氏」・近畿大学文芸学部文化・歴史学科特任講師の新谷和之(しんやかずゆき)さんによる「鷹山弘頼と近江六角氏」(案内文より)

19(R 1). 7.21<講座>当館元館長 塩山則之氏「考古学から見た生駒谷ー生駒の遺跡からみえてくるものー」・・・ハック調査の成果をふまえて古代の生駒谷について学びます。 

19(R 1). 6.22<講演会>平群町教育委員会 葛本隆将(たかゆき)氏「中世竹林寺と律宗」・・・ 行基廟の開掘を契機とする竹林寺の発展や、共同墓地・輿山(こしやま)の形成、竹林寺僧のネットワークなど、鎌倉・室町時代の竹林寺を取り巻く世界について、律宗の活動に注目しながらお話しいただきました。(ミュージアムのフェイスブックより)

19(R 1). 6.22<講演会>当館指定管理者(株)地域文化財研究所 福永信雄所長「生駒山西麓の古墳と竹林寺古墳」・・・生駒にある古墳は、本来、竹林寺古墳だけではなかったと考えています。その理由と生駒山西麓と生駒の古墳の有様についてお話ししました。(ミュージアムのフェイスブックより)

19(H31). 3.  3<企画展講演会>近畿大学文芸学部教授 藤井弘章氏「山里に生きる-環境民俗学の視点からみた生駒山周辺の生活-」・・・生駒を中心に、和歌山・河内等周辺地域との民俗文化の比較をお話いただきました。普通に過ごしていたら、見逃してしまいがちな風景にも実は貴重な民俗が隠れています。そういったものを、立ち止まって見つめなす事の重要性が分かる講演会でした。(ミュージアムのフェイスブックより)

19(H31). 2.23<講演会>奈良県立民俗博物館主任学芸員 溝邊悠介氏の企画展に絡めた講演会・・・民具に残された微かな痕跡を、科学的なデータを根拠にお話されていました。工学の視点から民具を解き明かしていく溝邊先生のお話は、大変興味深く、目から鱗の内容が散りばめられていました。(ミュージアムのフェイスブックより)  

18(H30).12.23<講演会>本願寺史料研究所研究員 岡村喜史氏「寺院の広がりから探る大和の歴史」・・・大和では、ほぼ旧村ごとに寺院があります。これらの寺院がどのようにできたのかについて宗派の分布や成立時期などを通じて生駒市域における歴史と地域性を考えてみましょう。(案内文より)

18(H30).11.10<講演会>高野山大学密教学科助教 櫻木潤氏「行基とその教え―菩薩道の目覚め―」・・・大阪狭山市の『行基資料集』の編纂にも携わった櫻木氏の講演会。行基の活動を、当時の社会情勢に落とし込みながらお話いただきました。たとえば、「行基は僧尼令違反として弾圧された」とよく耳にしますが、そもそも僧尼令とはいかなる思想の上で制定され、なぜ行基は従わなかったのか。仏教史の中に行基の活動や思想を落とし込むことで、従来見えていなかった部分が明らかになりました。(ミュージアムのフェイスブックより)

18(H30).10.21<特別展関連講演会>元同志社大学教授 辰巳和弘氏「アメノウズメ神話の時空―“祭り人”と“護り人”―」・・・古代神話に登場するアメノウズメは、天岩屋(に籠もる太陽神アマテラスを呼び戻し、地上に再び光明をもたらす神として知られています。そこでのさまざまな呪術的な行為が、すでに弥生・古墳時代の人物図像にあることを説き、今につながる古代人の心を解明します。(案内文より) /辰巳氏は、日本神話のアメノウズメの記載から、古代人のメンタリティや祭祀を考え、考古遺物に残された人の形との関連についてお話していただきました。シンプルな描線の、しかし変化のある描き方ひとつひとつに注目し、古代の祭祀形態を復元していくお話は、まさに知の海に潜っていくかのような面白さにあふれていました。(ミュージアムのフェイスブックより)

18(H30). 9.29<講演会>近畿大学文芸学部教授 鈴木拓也氏「聖武天皇の大仏造立とその息子たち」・・・743年に紫香楽宮で大仏造立を始めた聖武天皇は、翌年閏正月に難波遷都を強行します。しかしその43日後に元正太上天皇と左大臣橘諸兄を残して紫香楽に戻り、諸兄が天皇不在の難波宮でこれを皇都とする勅を読み上げました。この不可解なできごとは、政権内部の抗争とみるのが通説であるが、全く別の観点から読み解いていただきます。(案内文より) /743年、紫香楽宮で大仏造立を始めた聖武天皇は、翌年閏正月に難波遷都を強行します。しかしその43日後に、元正太上(げんしょうだじょう)天皇と左大臣橘諸兄(たちばなのもろえ)を残して紫香楽に戻り、諸兄が天皇不在の難波宮でこれを皇都とする勅を読み上げます。このできごとについては、政権内部の抗争とみるのが通説とされていますが、鈴木氏は以下の章立てをもって別の観点から読み解いてくださいました。第1節:聖武天皇と国分寺・大仏、第2節:難波遷都と難波皇都宣言の謎、第3節:難波皇都宣言をめぐる解釈、第4節:2月24日の紫香楽宮行幸はなぜ行われたか、第5節:2月24日の意味、第6節:難波皇都宣言はなぜ行われたか、第7節:安積親王・皇太子基王と盧舎那仏です。鈴木氏は、従来の研究で過小評価されていた安積親王の死について、光明交合の娘である阿部内親王を立太子(これは光明皇后および藤原氏への忖度ととるのが自然)しているがゆえに、むしろ安積親王に対し痛惜の念が強かったのではと推測されていました。そのうえで、鎮護国家を目的とする大仏造立に、息子の菩提を祈る意味を付加したのでは、とお話されました。(ミュージアムのフェイスブックより)

18(H30). 7.21<講演会>大阪国際大学国際教養学部教授 笠井敏光氏 「墓誌から世界がみえる―生駒市発見の二つの墓誌―」・・・生駒市では、行基と美努岡萬の二つの墓誌が発見されています。その墓誌に記された文字の形に着目し、日本における文字の変遷をたどったうえで、生駒の墓誌を東アジア漢字文化圏に位置づけます。(案内文より)

18(H30). 6.23<講演会>生駒市文化財保護審議会委員 中谷八榮子氏「乙田浄瑠璃・芝居の歴史」・・・歌舞伎と人形浄瑠璃を演じた村人は、農作業の寸暇に稽古を続け、村内に貴重な娯楽を届けました。起こりは幕末の頃、趣味の浄瑠璃語りが流行したことによります。村内有力者の援助があり、プロの芸能者を雇い演技力を磨きました。何と!村人義太夫は芸名を名乗りました。芝居の舞台は毎年二回に村総出で組み立てられ、人形芝居は座敷に設けられ、楽しく豊かな時間を味わったのでした。やがて昭和十年頃、約八十年の歴史を終えたのでした。そんな奈良県の指定文化財である乙田浄瑠璃の歴史について学んでいきます。 (案内文より)/奈良県の県指定文化財である乙田の浄瑠璃芝居は、江戸末期から明治初期に発祥し、昭和の前期まで乙田村の人たちによって行われました。元々は一人の趣味芸であった浄瑠璃語りから周囲の人々と共に行うようになり、歌舞伎を演じ、人形浄瑠璃を演じるようになり、周囲の村々へ公演しにいくようなります。そんな乙田村の人々の歴史と文化を伝える資料を生駒市萩の台の文化財保存館へ保存するまでに至った経緯から始まり、芸能史や保存している資料、残された映像をもとに乙田村の浄瑠璃・芝居の歴史についてお話いただきました。この人形浄瑠璃で使われた人形の一つは当館でも現在展示しております。(ミュージアムのフェイスブックより)

18(H30). 5.26<講演会>近畿大学文芸学部教授 網伸也氏「平城京から長岡・平安京へ―山背遷都の実像を考古学から探る―」・・・山背遷都を考古学の立場から振り返るとともに、平安京が平城京から継承したものと、あらたに創出したものを考え、新しい時代の都城の実態に迫ります。(案内文より)/まさに「電撃的」におこなわれた平城京から長岡京への遷都について、考古学の成果を中心にお話いただきました。自然災害説、早良親王の怨霊説は従来いわれてきた長岡遷都の理由でした。しかし、網氏は、これらいずれも原因のひとつであって、決定的な要因ではないとの説を提唱されていました。天武系旧勢力の強い平城京から、天智系の新たな王統を意識した桓武天皇はいち早く遷都する必要があったといわれています。そのため、桓武は遷都を急ぐあまり、都城のマスタープランを完成させず長岡遷都をおこない、故に都造りに失敗したのではと網氏はおっしゃっていました。また、上記の自然災害説と怨霊説について、前者に関しては、長岡京ののちに造られた平安京も水害が頻発していた、後者に関しては、祟りを恐れたにしては長岡から近すぎる距離に平安京を造っている点について、批判を加えていらっしゃいました。長岡京の失敗を経て、マスタープランが完成した平安京は、悠久の都となりました。現在、桓武のプランに沿って発掘調査をおこなうと、誤差約1mの範囲で遺跡が発見されるといいます。形ある資料を提示する考古学と、人の心のあり様を考える民俗学。これらふたつの視点を交えたお話であったかと思います。今は無き都の痕跡と桓武の人物像から長岡京・平安京を見つめ直す、刺激的な講演でした。(ミュージアムのフェイスブックより)

18(H30). 4.28<講演会>帝塚山大学非常勤講師 戸花亜利州(とばな ありす)氏「生駒の古寺・古仏―巡拝の旅―」 ・・・奈良県と大阪府の間を南北に走る生駒山地は、古来より聖地・霊場として多くの人々の信仰を集めてきました。今回、生駒周辺の古寺に伝わる仏像に注目し、見所や仏像の見方を紹介したいと思います。 (案内文より)/奈良県と大阪府の間を南北に走る生駒山地は、古来より聖地・霊場として多くの人々の信仰を集めて来ました。/奈良県と大阪府の間を南北に走る生駒山地は、古来より聖地・霊場として多くの人々の信仰を集めて来ました。今回、生駒周辺の古寺に伝わる仏像に注目し、見所や仏像の見方を紹介していただきます。 (案内文より)/この講演では、まず、仏像の基礎知識として、仏像が誕生するのは釈迦の入滅後しばらくしてからだったことや、仏様の種類の紹介や三十二相八十種好から仏像が作られていることといったことを解説いただきました。次に生駒市の仏像の話になり、宝山寺の仏像を見ながら湛海律師作の仏像の特徴や特異性など、また長久寺や法楽寺、高山八幡宮の神仏像について像の写真を見ながら細かい造形についてお話いただきました。最後にパワーポイントの画面で解説の中にあった仏像の拡大写真を見ながら詳細に解説いただきました。近世の仏像を見るにあたり、宝山寺の仏像を見ることは重要であり、宝山寺の仏像には湛海律師の独特な信仰を見出すことが出来るといったお話を交えながら解説いただき、大変に興味深い講演会となりました。(ミュージアムのフェイスブックより)

18(H30). 3.17<講演会>斑鳩町教育員会 平田政彦氏「飛鳥時代の斑鳩における上宮王家の動向について―考古学成果を中心に―」・・・平田先生は古代寺院や古墳を専門として、現在斑鳩文化財センターを拠点にご活躍なされております。この講演では、大化の改新の以前、推古天皇崩御から、上宮王家が滅亡に至るまでの動向と蘇我氏との関わりを、文献資料を見ながら発掘成果と照らし合わせて当時の事変をお話いただきました。山背大兄王と田村皇子との皇位継承争いから蘇我氏一族の動向を踏まえて、大化の改新に至るまでの当時の政権争いの流れを様々な資料をもとにお話しいただき、多角的な視野から見ることのできる講演会となりました。ミュージアムのフェイスブックより

18(H30). 3. 4<企画展ハイキング>暗峠・・・報告文ミラー> 

18(H30). 2.17<企画展講演会>奈良大学非常勤講師 山上豊氏「大軌の開通と近代生駒の形成—観光地としての発展」・・・山上先生は大学でも奈良県の近代史について教鞭を執っていらっしゃいます。この講演では、まず、大軌開通以前の生駒の姿を、町村制の面から解説していただきました。そして、大軌開通後の生駒町の変貌について、人口や当時の新聞記事などのデータを用いつつお話いただきました。生駒は農村でありながら、立地の面から農業が大きく発達したとはいえなかった地域です。その中において、近世から多大な人気を得ていた宝山寺の存在が非常に大きく、大軌開通後の人の流れも宝山寺を中心としたものとなっていました。こういった流れを、さまざまな資料をもとにお話いただき、大変に興味深い講演会となりました。(ミュージアムのフェイスブックより

18(H30). 1.27< 企画展講演会>交野市教育委員会 吉田知史氏「瓦からみた生駒と交野」・・・生駒市の北西に位置する交野市。生駒市と交野市ではお互いの地の瓦が出土します。これは人々の往来が盛んであったことを意味します。瓦の分布から見る生駒市と、交野市の歴史と交流についてお話します。 (案内文より)/交野と生駒の瓦から見たつながりを講演していただきました。瓦というと、三つ巴紋や蓮華紋といった軒丸瓦の紋様や、鬼瓦のような役瓦をイメージしますが、今回は刻印瓦についての講演でした。生産管理のために瓦屋が製品に刻印を押したものをいい、この刻印を分析することにより、その瓦の産地や瓦屋の名前がわかります。生駒と交野では、相互に瓦屋の刻印瓦が広がっており、交野の「私瓦八」などは生駒を含む周辺地域に広がっています。また、生駒の「高瓦房」や「高森岡安早」などは交野を含んで広がりを見せています。このことから生駒と交野は瓦が相互に行き来しており、刻印の類似性からも近しい関係にあったことがうかがえます。刻印一つで様々な発見へ結びつく面白さに興味を惹かれました。散歩するとき、古いお家を見つけたら軒先の刻印瓦を発見できるようにしたいですね。過去にミュージアムにおいて、瓦についての講演会を他にも開催しました。2014年6月21日 帝塚山大学考古学研究所所長 清水昭博氏「古代瓦からみた生駒の歴史~聖徳太子と行基~」 2016年3月25日 近畿大学文芸学部 網伸也氏「考古学からみた道昭の足跡」ご興味がございましたら、当館までお問い合わせください。

17(H29).12.23<講演会>生駒ふるさとミュージアム 福永信雄館長「生駒好き必見!生駒山の名前の由来、市内の遺跡を語る」・・・当館館長による「生駒の名前の由来、市内の遺跡」。古い文献では生駒は「往馬」「生馬」など様々な形で記されています。その地名の由来が示すものとは一体何か、また縄文時代から中世まで市内の主な遺跡を学んでいきます。生駒の歴史に興味がある、分かりやすく知りたい方におすすめの講座です。(案内文より)報告文ミラー

17(H29).11.25<講演会>京都府立大学学術研究員 水谷友紀氏江戸時代の長州藩大坂船頭」・・・報告文ミラー 

17(H29).10.14<特別展講演会>文化功労者・近畿大学名誉教授 野本寛一氏「水の民俗事始め」・・・報告文ミラー 

17(H29). 9.30<講演会>「生駒・長福寺解体修理で見えた真実 」・・・奈良県教育委員会文化財保存事務所 山下秀樹氏、奈良文化財研究所 文化遺産部歴史研究室長 吉川聡氏の2人による「生駒・長福寺本堂の修理工事と木札の調査」。生駒市俵口町にある長福寺本堂は、鎌倉時代に建立された古建築です。建物の劣化による解体修理が平成24年より4年かけて行われました。その過程で、創建などを物語る痕跡、当時の寺院経営の実態を示す木札などが発見されました。それら成果の概略を調査担当者から説明します。(案内文より)報告文ミラー 

17(H29). 8.26<講演会>天理大学前教授 谷山正道氏そのとき民衆は見た…幕末終焉の魁、天誅組の変」・・・幕末に大和の地で起きた「天誅組の変」はどのような事変であったのか。史料をもとに、当地の人々の視線から、その実像に迫ります。(案内文より)報告文ミラー

17(H29). 7.22<講演会>天理大学准教授 天野忠幸氏「『天下人』三好長慶と飯盛城を解き明かす」・・・生駒山地から西へ派生した山脈には、大阪府下で最大の山城である飯盛城があります。戦国時代、京都・大阪・奈良を舞台に活躍した武将が、この飯盛城を居城としました。その中でも、三好長慶は織田信長よりも先に、二十年にわたって「天下を治めた」と言われています。そして、飯盛城はすぐにヨーロッパにも伝えられ、世界地図には「Imoris(イモリス)」と記されています。「天下人」三好長慶とはどんな人物だったのでしょうか。なぜ飯盛城はヨーロッパ人のつくった世界地図に載っているのでしょうか。これらを解き明かしていきます。(案内文)報告文ミラー

17(H29). 6.10<講演会>近畿大学教授 鶴田格氏「生駒の棚田・里山とその保全:文明史的視点から」・・・アジア稲作農耕文明(文化)からみた生駒の棚田の位置づけを行います。いま棚田を保全する意義とは! (案内文より)報告文ミラー 

17(H29). 5.27<ミュージアム学芸員講座>「生駒に鸛鶴(こうづる)はいたか?-コウノトリの環境民俗学―」 ・・・奈良県下に飛来した個体と歴史史料・民俗資料から生駒周辺地域とコウノトリの関係性を探ります。(案内文より)報告文ミラー 

17(H29). 5.26<講演会>柏原市立歴史資料館館長 安村俊史氏「~大和川水運を紐解く~大和川水運と近世大和の産業」・・・ 古代より大和と大坂を結ぶ大動脈としての大和川、特に近世の大和における役割について産業を通して考えます。(案内文より)報告文ミラー 

17(H29). 4.23<講演会>橿原考古学研究所附属博物館主任学芸員 小栗明彦氏「~竹林寺古墳の謎に迫る~竹林寺古墳の被葬者像 ・・・報告文ミラー

17(H29). 3.25<歴史講演会>高野山大学助教 櫻木潤氏「『聖地』としての生駒山ー信仰の山に魅せられた人々ー」・・・報告文ミラー

17(H29). 2.25<特別展講演会>葛󠄀城市歴史博物館館長補佐 田中慶治氏「戦乱の世をゆく大和武士」・・・報告文ミラー

17(H29). 2.11~3.12<特別展>「戦国の生駒ー北大和、河内、南山城をめぐる攻防と展開ー」・・・ご案内 ミラー

17(H29). 1.28<歴史講演会>奈良市埋蔵文化財調査センター 中島和彦氏南都の土器の話-生駒市西畑遺跡出土の中世土器をめぐって-」・・・報告文ミラー 

17(H29). 1.17<歴史講演会>奈良文化財研究所副所長 杉山洋氏「古代の鏡を作る」・・・報告文ミラー

16(H28).11.27<歴史講演会>大東市教育委員会の黒田淳氏による講演「北新町遺跡と東大寺」・・・報告文 ミラー

16(H28).11.19<講演会>南都明日香ふれあいセンター犬養万葉記念館館長 岡本三千代氏 「『万葉集』に親しむ」 ・・・ 報告文 ミラー

16(H28).10.22<歴史講演会>・・・四條畷市立歴史民俗資料館館長 野島稔氏「継体天皇と河内の馬飼い」・・・ 報告文 ミラー> 

16(H28). 9.24<歴史講演会>奈良大学文学部非常勤講師 山上豊氏「近代生駒地域の形成と大軌の開通」 ・・・かつて街道筋を中心とて発展していった村々が、鉄道開通を経てどう変化していったのかについてお話しして頂きます。(案内文より)報告文 ミラー

16(H28). 8.20<歴史講演会>奈良芸術短期大学教授 前園実知雄氏に「竹林寺の二つの墓―行基と忍性―」 ・・・報告文 ミラー

16(H28). 7.23<歴史講演会>(公財)枚方市文化財研究調査会理事 宇治田和生氏「中世の焼物の生産と流通」・・・報告文  ミラー

16(H28). 6.18<歴史講演会>帝塚山大学教授 鷺森浩幸氏「古代の生駒と奈良の寺院」 ・・・ 報告文 ミラー 

16(H28). 5.28<歴史講演会>大阪大谷大学元教授 吉原忠雄氏「仏像の見かた入門」 ・・・ 報告文 ミラー 

16(H28). 4.16<歴史講演会>高槻市立しろあと歴史館 西本幸嗣(こうじ)氏「摂河・大和地域における融通念仏宗の広がりと信仰」 ・・・報告文 ミラー>  

16(H28). 3.26<歴史講演会>近畿大学文芸学部 網伸也氏「考古学からみた道昭の足跡」・・・生駒にゆかりのある行基が師事したという道昭。その人物像や、道昭に関連する遺跡や遺物から当時の社会を考えるというものでした。特に考古学からみた道昭の周遊というテーマで、道昭に関連した瓦や塼仏の出土場所などを追っていくお話は、必聴の価値あり!道昭のことを詳しく知られるだけではなく、考古学の研究方法の一つを学べる講演会だったと思います。(ミュージアムのフェイスブックより

16(H28). 2.20<企画展講演会>枚方市文化財研究調査会 武知邦博氏「地形と農作‐生駒と北河内の農具‐」・・・昔の人々は自分の住んでいる所の地形や地理に合った農作物を作っていたことを教えて頂き、改めて作物と地形、そして使用する道具の関係が良くわかりました。(ミュージアムのフェイスブックより

16(H28). 1.30<歴史講演会>奈良市埋蔵文化財調査センター所長 森下恵介氏「都の寺と山の寺‐生駒葛城と吉野大‐」・・・古代の都の寺と山地寺院との関係において、修経者のはたす役割の重要性を考えさせられました。(ミュージアムのフェイスブックより

15(H27).12.19<歴史講演会>大和郡山市教育委員会 山川均氏「中世生駒の石造物 」・・・竹林寺と忍性のお話を中心に、暗越奈良街道沿いに広がる石造物群についてお話を頂きました。生駒の石造物の背景には、忍性さんの影響があったんですね!! (ミュージアムのフェイスブックより)

15(H27).11.29<特別展講演会>(公財)元興寺文化財研究所副所長 狭川真一氏「石仏・石塔の再利用と霊魂観」・・・石仏・石塔は大和郡山城のお城の石垣に利用されており、戦国時代から、石仏・石塔の概念が変わってきたと考えられるそうです(ミュージアムのフェイスブックより)

15(H27).10.17<歴史講演会>四條畷市教育委員会 實盛良彦(じつもりよしひこ)氏ヤマト王権、王の光と青銅鏡―卑弥呼から継体大王まで―」・・・銅鏡を研究されている若手の研究者です。鏡のもつ意味を通して古墳時代を見つめました。銅鏡一つとっても、歴史の流れの復元というのはまだまだ分からないことがたくさんあることが分かりました。(ミュージアムのフェイスブックより

15(H27).10.17<講義・体験>八尾市立歴史民俗資料館河内木綿担当学芸員 李煕連伊(イヒヨンイ)氏江戸時代の綿づくりと木綿織り」・・・日本における木綿製品の歴史や江戸時代における木綿製品についての講義、綿繰り・糸紡ぎの体験を行いました!講義では、江戸時代に出された『綿圃要務(めんぽようむ)』を読み解きながら、綿栽培について理解を深めました。また、綿繰り・糸紡ぎの体験では、小学生の子どもたちにも参加していただき、楽しい時間を過ごすことができました。綿繰りは、思った以上に力のいる作業でしたね。(ミュージアムのフェイスブックより)

15(H27). 9. 5<歴史講演会>元興寺文化財研究所評議員 藤澤典彦氏石造品から見た生駒輿山墓地の歴史」・・・藤澤先生のお話により、輿山古墓の石造物の変遷を知ることにより、生駒市の輿山古墓の持つ重要性を改めて認識することができました。(ミュージアムのフェイスブックより)

15(H27). 8.29<歴史講演会>関西学院・奈良大学講師 天野末喜氏船形埴輪出現の歴史的意義」・・・今、常設展示室では船形埴輪を展示していますが、今回の歴史講演会で更に掘り下げて学ぶ事ができました。古墳時代の中期に登場した船形埴輪は王のお墓に使われ、祭祀的な意味をもつものとして推測されています。ミュージアムでは常設展、企画展、特別展、各々の展示内容とリンクした歴史講演会を行っております。貴重な講演に、展示をみて更に興味を持ってご参加いただけると思います。(ミュージアムのフェイスブックより)  

15(H27). 8.29<歴史講演会>近畿大学文芸学部前教授 大脇潔氏 「墓誌の話」・・・古代日本の墓誌はわずか17例しかないらしいのですが、行基さんと遣唐使の美努岡万という、2つの墓誌が発見されているこの生駒の地は、とても恵まれた地なんですね~!(ミュージアムのフェイスブックより)

15(H27). 6.27<歴史講演会>橿原考古学研究所 青柳泰介氏家形埴輪をめぐる諸現象から古墳時代社会を考える」・・・今までの調査の内容とともに、たくさんのスライドショーも見せて頂きました。普段みることのできないものなので、受講者の方々も興味深くご覧になっていました。(ミュージアムのフェイスブックより)

15(H27). 5.31<歴史講演会>関西大学非常勤講師 天野忠幸氏「松永久秀の虚像と実像」・・・梟雄、下剋上、裏切りといった現在の私たちがもつ松永久秀のイメージは江戸時代に作られたものであり、当時の古文書からは主君への忠義、家族への愛情にあふれた松永久秀を読み取れるとお話頂きました。東大寺焼き討ちや多門山城の築城、信貴山城の戦いでの最後など、奈良県とも所縁の深い松永久秀について、新知見に触れることができました。(ミュージアムのフェイスブックより)

15(H27). 4.29<歴史講演会>八尾市立歴史民俗資料館館長 小谷利明氏「生駒が生んだ戦国武将-鷹山弘頼の栄光と挫折-」・・・生駒出身で、南山城・河内地方と広い範囲で活躍した戦国武将 鷹山弘頼氏の活躍について解説していただきました。戦国時代の生駒周辺は、本当に複雑な政治状況だったんですね。(ミュージアムのフェイスブックより)

15(H27). 2.14生駒学講座>東大阪市立郷土博物館学芸員 中西克宏氏「生駒山の東と西-東大阪と生駒の古墳時代-」・・・東大阪と生駒市の歴史的な共通点や相違点に迫りました!。(ミュージアムのフェイスブックより)

15(H27). 2.13考古学入門>地域文化財研究所主任研究員 影山美智与氏「時代区分ってなんだろう?」・・・「新石器時代はいつか!?」という話題で白熱したやりとりがおこなわれました!。(ミュージアムのフェイスブックより)

15(H27). 2. 8<冬季特別展講演会> 昨日、2月7日からいよいよ冬季特別展 魅力発見!生駒の神さま・仏さま!お寺と神社の文化財が始まりました。これを記念しまして、寳山寺貫主 大矢實圓大僧正猊下による講演「寳山寺の歴史」が開催されました。寳山寺、中興開山の湛海律師、真言宗の話と多岐にわたり、非常に興味深いお話をいただきました。当日は大変多くの方にお越し頂き、嬉しい悲鳴でした!貫主さま、本当にありがとうございました。(ミュージアムのフェイスブックより)  

14(H26).12.21<生駒学講演会>奈良県立橿原考古学研究所附属博物館主任学芸員 小栗明彦氏「壱分遺跡群と渡来系文物」・・・生駒市の往馬大社ちかくにある壱分宮ノ前遺跡は、物部氏の物流拠点的な施設だったのかも!? 古代ロマンが広がりますね~~!!(ミュージアムのフェイスブックより)

14(H26).12. 5<考古学入門4>地域文化財研究所 福永信雄所長「発掘!土に埋もれた歴史」・・・なぜ人間は歴史を考えるのか・・・考古学はモノを通して過去の事実を解明する学問ですが、そこからや人生や、未来を考えることにも繋がるんですね。(ミュージアムのフェイスブックより)  
14(H26).11.22<生駒学講座四條畷市立歴史民俗資料館館長 野島稔氏「田原城とその菩提寺」・・・四條畷では日本最古のキリシタン墓碑である、田原城主の田原レイマンの墓碑が発見されているんですね。バレンタインデーに発見されるなんて、運命的!河内キリシタンは謎とロマンに満ちていますね。(ミュージアムのフェイスブックより
14(H26).10.18<生駒学講座6橿原考古学研究所特別指導研究員 奥田尚氏「十三仏板碑の信仰とその生産地」・・・今も生駒谷に多く残る十三仏板碑の産地や生産について、材料である石材の分析から考察して頂きました。その結果。。。なんと!現在残っている板碑は、生駒で生産されたものがもっとも多いということです!!(ミュージアムのフェイスブックより)  
14(H26). 9.23<企画展講演会堺市立泉北すえむら資料館 森村健一館長「須恵器生産と行基」・・・須恵器は土器ではなく「日本最初の陶器!」だったんですね~!(ミュージアムのフェイスブックより)
14(H26). 8.23<生駒学講座大阪府教育委員会文化財保護課総括主査 有井宏子氏「行基ってナニモノ?-土木事業から探る-」・・・ため池や土塔の発掘調査から、行基さんの時代の土木技術について考え、いつもとはちょっと違う視点から行基さんに迫ることができました。今年は行基さんについてあらゆる角度から考察していますが、行基さんという方は、知れば知るほど違う側面が見えて、興味が増していきますね!(ミュージアムのフェイスブックより)  
 
14(H26). 7.26<生駒学講座帝塚山大学考古学研究所所長 清水昭博氏「古代瓦からみた生駒の歴史~聖徳太子と行基~」・・・生駒市の竹林寺と柏原市の河内国分寺との瓦のつながりなどを、興味深くお話下さいました。(ミュージアムのフェイスブックより)
14(H26). 6.24<生駒学講座帝塚山大学考古学研究所所長 清水昭博氏「古代瓦からみた生駒の歴史~聖徳太子と行基~」・・・生駒市の竹林寺と柏原市の河内国分寺との瓦のつながりなどを、興味深くお話下さいました。(ミュージアムのフェイスブックより)
 
 

生駒ふるさとミュージアムの「生駒の歴史と文化入門講座」

講座開催場所 : 生駒ふるさとミュージアム

<この記事は、生駒検定<全国版><問26>生駒の歴史生駒の神話の参考記事です。>

生駒の歴史と文化に関する講演会等

20(R 2)年度

19(R 1)年度

 第10回( 3月13日)・・・新型コロナウイルス感染拡大防止のため、延期「高山八幡宮の無足人座(むそくにんざ)」・・・戦国時代、戦に敗れ断絶した鷹山(たかやま)氏の臣下が資材を失い、結成した「無足人座」。江戸時代には「茶筌(ちゃせん)師座」とも呼ばれ八幡宮の祭礼神事に参画してきた歴史を学びます。(案内文より)  

 第9回( 2月14日)「鷹山家文書の翻刻(ほんこく)」・・・  中世戦乱の時代に「大和国侍二十八人衆(やまとのくにざむらいにじゅうはちにんしゅう) 」一として活動した鷹山氏宛ての書状107通が保存されていて、中世の生駒を知る貴重な史料です。生駒市教育委員会が翻刻事業を行っています。文書の概要について学びます。(案内文より)   

 第8回( 1月17日)「那富(なほ)山墓と隼人石」・・・聖武天皇の期待を一身に集めながら一歳の誕生日を目前にして夭折した皇太子の墓と伝えられる那富山墓と墓を守ると伝承されている隼人(はやと)石の謎について学びます。(案内文より) 

 第7回(12月13日)「仁徳天皇をめぐる比売(ひめ)たち」・・・『古事記』がその治世を「聖帝の世」と讃えた仁徳天皇をめぐる皇后石之(いわの)日売、黒比売、八田若郎女(やたのわきいらつめ)などの比売たちの確執について学びます。(案内文より)

 第6回(11月15日)「鬼の歴史と民俗」・・・伝説や民間説話、「お伽草紙(とぎぞうし)」や祭礼行事などに登場する多彩な「鬼」の歴史と民俗について、文献史料を通して学びます。(案内文より)   

 第5回(10月18日)「謎の古代山城・鬼ノ城」・・・白村江の戦いに敗れて、唐・新羅連合軍の侵攻に備えて大和朝廷が築いた古代山城の一つと伝承されている吉備の国の鬼ノ城について、築城の歴史的背景と壮大な構造の謎をお話いただきました。生駒ふるさとミュージアムのフェイスブックより 

 第4回

 第3回( 7月19日)「天誅組の蹶起は義挙か?」・・・天誅組主将中山忠光と一兵士原田亀太郎の人物像を通して「明治維新の魁さきがけ」と呼ばれた蹶起の実像について学びます。(案内文より)   

 第2回( 6月14日)「近代生駒の黎明(2)-寳山寺開山と門前町生駒-」・・・「生駒の聖天さん」と親しまれ年間百数十万人の参詣者が訪れる寳山寺。閑静な山間の農村が寳山寺の門前町として繁栄していく歴史の過程を寺院に残る史料を通して学んでいきました。(生駒ふるさとミュージアムのフェイスブックより)    

 第1回( 5月17日)「近代生駒の黎明(1)-生駒トンネル開削と大軌開通-」・・・生駒トンネル掘削の英断と事故・慰霊、大軌開通による生駒地域の発展について学び、事故犠牲者の慰霊碑を訪ねます。(案内文より)トンネル掘削にまつわるお話で、当時敷設工事に携わった人びとのリアルなやり取りを交えながらの興味深いお話でした。生駒は鉄道の敷設により大きく発展した土地であると言える場所であり、生駒を学ぶという点で今年度初回に相応しい内容であると感じました。お話の後には、トンネル掘削工事中に起きた事故の犠牲者を弔った慰霊碑を訪ねて、現地見学を行いました。(生駒ふるさとミュージアムのフェイスブックより) 

18(H30)年度

 第10回( 3月15日)「応仁の乱―中世大和動乱と生駒」

 第9回( 2月15日)「中将姫伝説と當麻曼荼羅」・・・浄土信仰が息づく生駒の風土を舞台に、中将姫伝説は今も脈々と語り継がれている…そんなお話をしていただきました。(生駒ふるさとミュージアムのフェイスブックより) 

 第8回(12月14日)「生駒の地名起源」 

 第7回(11月16日)「中世の夢―権力掌握の夢を共有する集団」・・・摂関家の三男に生まれ、権力掌握を目指して激動の時代を生き抜いた九条兼実の日記(『玉葉(ぎょくは)』)を通して中世の人々の夢について学びます。(案内文より)報告文ミラー   

 第6回 (10月19日)「古代の夢―王権の皇嗣や大事を決した夢」・・・夢には、いくつかの意味があるかと思いますが、「将来の夢はなんですか?」のほうではなく、「睡眠中にみる夢」のほうです。古代の史料をひも解くと、夢のお告げによって皇嗣を決定づけることさえあり、国の動向を左右することがいくつもあったということがわかります。現在でも日常会話のなかで、「正夢」、「逆夢」や「夢のお告げ」という言葉を使うことがありますが、夢のお告げによる国家運営なんてあり得ないですよね?しかし古代ではあり得たのです。当時に生きた人々の目線で歴史的事象を考える姿勢が、真実の歴史を解明する鍵になるのではないでしょうか。みなさんはどう思われますか?(生駒ふるさとミュージアムのフェイスブックより)  💡  

 第5回 ( 9月14日)「山背大兄王の変と生駒」・・・「日本書紀」には、蘇我入鹿に襲撃された山背大兄王が、生駒山に隠れたという記述があります。そしてその姿は遥か山中に見ることができたと記されています。今回は、この山が果たして現在の「生駒山」なのか?という点に着目しました。この疑問に応えるべく、今木先生は、実際に斑鳩の方向から生駒方面をご覧になり、矢田丘陵にさえぎられて生駒山は見えないことを確認されました。よって、ここでいう「山中」とは、現在の生駒山ではなく、矢田丘陵を指しているとの結論を出されました。この講座では、山背大兄王の生涯を学ぶと同時に、疑問に思うことがあれば実証してみる行動力が歴史を紐解く上で大切であることをご教示いただきました。報告文ミラーより)  。‼️  

 第4回( 7月13日)「『古事記』を繙くーヤマトタケルノミコト神話」・・・王権確立の陰で、外敵征討の戦いに疲れて病に倒れ、死してのち白鳥になって飛び立った悲劇の皇子の生涯について学びます。 (案内文より)/青年期より猛々しい性格を持っていた小碓命(おうすのみこと)、彼がのちのヤマトタケルノミコトでした。その凶暴さから、親からも恐れられ、中央に置いておくことへの危機感から熊曾の討伐へと派遣されていきました。その後は武勇をあげつつも、故郷を目前にその生涯を終え、魂は白鳥となり飛び去る、悲劇の英雄でした。先生の解釈では、この物語は、「国家の組織を確立していく中で個人としての英雄の活動が次第に排除されていく過程」であるとのことでした。非常に面白い解釈であると思います。(生駒ふるさとミュージアムのフェイスブックより)   

 第3回( 6月15日)「『古事記』を繙く-スサノオノミコト神話」・・・荒ぶる神であるとともに、柔和な農耕神でもあるスサノオノミコトについて『古事記』と『出雲国風土記』を通して学びます。(案内文より)/―神代の頃、悪行を重ね、神々が住む天上の世界から追放されたスサノオノミコトは、出雲の地へと降り立ち、そこで罪なき少女たちを襲って食べたヤマタノオロチを退治した―。この一連の神話を一度は耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか。神々の世界では、アマテラスに怒りを買うほどの悪事を重ねる悪の一面。出雲の国では、恐ろしい大蛇を退治する勇敢で正義感あふれる善の一面。スサノオノミコトは、古事記のなかで、その二面性が表現されています。どのようにスサノオのイメージが悪から善に変化したのかを考えていくと、スサノオとは一体何者なのか、なぜ出雲なのか、この神話が描かれた背景とは何なのかなど、様々な疑問が生じます。一見、荒唐無稽のように感じられる神話が、実はそれが記された時代の思想や社会的背景を知る手がかりになるのではないか、という捉え方。今木先生には、そうした記紀に向き合う姿勢についてもご教示いただきました。歴史を解釈する者の心得とは、常に問いを持ち続け、複眼的な視点で資料と対話する事であると感じました。お越しいただいたみなさんはいかがでしたか?(生駒ふるさとミュージアムのフェイスブックより) 

 第2回( 5月18日)「饒速日命と長髓彦伝説」・・・日本書紀」と「先代旧事本紀」の説話を通して天磐船(あめのいわふね)に乗って天降った饒速日命と生駒の先住民長髓彦の伝承について学びます。(案内文より)/前回の「イザナギ・イザナミ神話」から引き続き、神話の世界から日本の文化や歴史観を学びました。長髓彦について。神武天皇が九州から生駒山を通り大和に入る際、抵抗し続けた長髓彦。『古事記』や『日本書紀』では、服従しない者=ワルモノ扱いされているけれど、果たしてそうなのか、という先生の問いかけに、はっとしました。確かに私自身、長髓彦イコール反逆者というイメージを持っていました。しかし、少し見方を変えてやると、長髓彦は、実に地元愛にあふれた人物であったのかもしれないと―そういう考えに至り、これまでの偏った「思い込みの解釈」に深く反省した次第です。今木先生のたった一言で、新たな視点が生まれる機会となりました。ありがとうございます! (生駒ふるさとミュージアムのフェイスブックより)    

 第1回( 4月13日)「イザナキ・イザナミ神話」・・・「古事記」・「日本書紀」が伝える神話を通して、原初日本人の死生観について学びます。(案内文より)報告文ミラー 

17(H29)年度

 第10回 ( 3月16日)「生馬庄と伊古麻都比古神社」・・・生馬上庄(かみのしょう)と生馬下庄(しものしょう)の成立の経緯と伊古麻都比古神社の歴史・祭礼について、文献史料をもとに学びます。(案内文」より) 報告文ミラー 

 第9回 ( 2月16日)「上鳥見庄と長弓寺・伊弉諾神社」・・・現在の鹿畑町・上町にあった上鳥見庄と長弓寺、伊弉諾神社について、文献史料と近年の発掘調査の成果をもとに学びます。(案内文より)今回の講座では現在の鹿畑町・上町にあった上鳥見庄(かみとみしょう)と長弓寺、伊弉諾(いざなぎ)神社について、文献史料と近年の発掘調査の成果をもとに学びました。上鳥見庄の「鳥見」の地名の由来から始まり、「先代旧時本紀(せんだいくじほんぎ)」、「日本書紀」、「続日本書紀」、「和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」等の文献からみえてくる鳥見についてお話しいただきました。それぞれの文献で、「鳥見」についての解釈が違う事、昔の読み方や書き方で「鳥見」の表記が違うのでは!?とのいつもの今木節が聴けました。先生の講座を聴くたびに、生駒という所は神話と歴史に密接な関係を持つ、ミステリアスな部分が多い地域なのだなと思います。生駒の魅力はまだまだつきませんねー! (生駒ふるさとミュージアムのフェイスブックより)    

 第8回 (12月15日)「鷹山庄と高山八幡宮」・・・正倉院文書」の天平宝字6年条にみえる「生馬鷹山」と「鎌倉遺文」の「鷹山庄」、同地に鎮座する高山八幡宮の歴史について学びます。(案内文より) 報告文ミラー 

 第7回 (11月10日)「忍性の生涯と生駒」 ・・・行基の遺徳と足跡を慕い、布教と慈善事業に尽くした鎌倉時代の高僧忍性の生涯と生駒との深い縁について学びます。(案内文より)報告文ミラー 

 第6回 (10月13日)「行基信仰の興隆と輿山郷墓の誕生」・・・報告文ミラー 

 第5回 ( 9月15日)「行基墓発掘と竹林寺の創生」・・・報告文ミラー 

 第4回 ( 7月14日)「生駒谷の七森信仰‐村の聖地・モリにやどるカミ‐」・・・報告文ミラー 

 第3回 ( 6月16日)「古代・中世の生駒山 ‐神さぶる伊古麻高嶺‐」・・・報告文ミラー 

 第2回 (5月19日)「美努岡萬墓誌発見の経緯」・・・遣唐使の一員として山上憶良らととともに唐に渡って帰朝後従五位下(じゅごいのげ)を授かり、平城京の主殿頭(とのものかみ)として活躍した岡萬の墓誌の内容とその発見の経緯について、当時の貴重な資料をもとに学びます。 (案内文より)/報告文ミラー 

 第1回( 4月14日)「天平文化の光と影ー平城遷都と民衆の苦悩ー」・・・報告文ミラー

16(H28)年 

 第10回( 3月28日)「湛海律師の寶山寺開山」・・・「生駒の聖天さん」と親しまれ、年間百数十万人の参詣者で賑わう寶山寺。荒廃していた山中に入山し、寶山寺を中興開山された湛海律師の生涯について『霊感記』や『生駒山宝山寺縁起』などの文献史料を通して学びます。(案内文より)報告文ミラー  

 第9回( 2月17日)「大仏再建ー公慶上人と生駒」・・・永禄10年に兵火で焼亡した東大寺大仏殿を再興した公慶上人は鷹山氏の末裔。上人と生駒との知られざる絆について『鷹山家文書』を史料に学びます。(案内文より)報告文ミラー

 第8回( 1月20日)「鷹山氏の興亡-中世大和の動乱-」・・・報告文ミラー 

 第7回(12月16日)「役行者伝説と生駒」・・・「続日本紀(しょくにほんぎ)」「日本霊異記(りょういき)」を史料に伝説の謎を解明し、近世の史料から生駒の鬼退治伝説の背景を探ります。(案内文より)報告文ミラー 

 第6回(11月18日)「行基の生涯と生駒」・・・ 「大僧正舎利瓶記」と「行基年譜」について学びます。(案内文より)

 第5回(10月14日)「生駒の古道」・・・古来生駒は大和と難波を結ぶ交通の要衝。人が歩き文化を伝播した生駒市域の古道について学びます。(案内文より)

 第4回( 9月16日)「長屋王の変と生駒」・・・報告文 ミラー 

 第3回( 7月15日)「有間皇子伝説と生駒」・・・報告文 ミラー

 第2回( 6月17日)「神功皇后(じんぐうこうごう)伝説と生駒神社」・・・報告文 ミラー

 第1回( 5月13日)「神武天皇東征神話と長髄彦(ながすねひこ)」・・・報告文 ミラー

 

 

 

 

 

 

  

 

いじめは「一撃必殺」の場合がある。

 いじめは「一撃必殺」(一回のいじめが取り返しのつかない事態を招く)の場合があります。自己の存在を否定されるような言葉を1回浴びせられただけで自死にまで追い詰められる。1回盗撮(性的いじめ) された写真が、トイレ内のもので氏名とともにネットで流されるという最悪の事態。などがそうです。それを踏まえると、「いじめはどこの学校でも起こり得る。だから、いじめを決して許さない学校にする。具体的には、いじめが起こっていないか常に(生徒の)監視を続け、いったんいじめが起こったら、それを許すことなく直ちに加害生徒を2度といじめをしないよう厳しく指導する。こうして、いったんいじめが終わっても気を緩めることなく監視を続け(、また、いじめが起こったらそれを許すことなく直ちに加害生徒を2度といじめをしないよう厳しく指導する。こうして、いったんいじめが終わっても気を緩めることなく監視を続け、また、いじめが起こったら・・・・・)る。」などと公言する教育関係者に怒りを覚えます。生駒市立中学校生徒盗撮事件において最悪の事態になっていた可能性もあったことを考慮しても、まだ「いじめはどこの学校でも起こり得る。だから、いじめを決して許さない学校にする。」(欠陥はどの商品にもあり得る。だから、欠陥が見つかれば、決してそれを修理せずして売り続けることはしない)と言い続けるのでしょうか。なぜ、「学校をいじめを含む基本的人権侵害など起こりようのないところにする」(この商品は欠陥があるはずがないので販売させていただいております。欠陥があり得るのであればお売りいたしません。もし、欠陥があって死亡事故等の重大な事故が起きれば取り返しがつきませんので。)といわないのでしょうか。<【20. 2.21】記 >

生駒市内中学生による盗み撮り事案  

事案の概要⇒市の発表ミラー

 〇教育問題の解決には現場教員のエンパワーメント自発的・自主的な力)が必要、という原則があります。この原則に従っている学校には、人権委員会(名称は、これと異なる場合もある)があり、機能しています。この委員会は、「自己と他者の基本的人権を共に尊重していく人間として成長していく場(それは、児童生徒も教職員も全員が安全安心に過ごせる場でもある)を提供する」という学校の役割と教員の任務を保持するために設けられているものです。これは、各学年や各分掌等から原則一人ずつ出てきて7~8ぐらいで構成されるもので、その役割の重要さだけでみれば、学年団・分掌等よりも上位に立つもので、具体的な任務は、①学校の役割と教員の任務を保持するために必要と思われる事案が生じたときに、それを提案書にまとめ、職員会議()に提出して、教員全員に共有・実践していただく。②重大な基本的人権侵害事案が生じたときに、全教員でその解決にあたるための解決策を策定し(重大な基本的人権侵害事案解決策は人権委員会に蓄積されているので速やかに策定できる)、職員会議で全教員の共有とし、その策の実行の中心として動く。

  () 職員会議・・・事務職員も常時参加する学校と、事務職員にもかかわる事案が議題のときのみ事務職員も参加する学校がある/本来は学校における最高意思決定機関であるが、近年、単なる管理職の諮問機関か管理職からの指示連絡伝達機関となってしまった学校が増加。かかる学校では教員のエンパワーメント が低下・枯渇。それが、学校におけるいじめ等の基本的人権侵害を増加させている。かかる学校では、当然、人権委員会は機能停止する。 

お断り:以下の文<今後の添削余地あり>は、上右に掲載の「市の発表」「議会への報告」という信頼できるが量が少ない情報やこの事案を報じた、週刊文春(20年2月27日号)<文春オンラインでは20年3月7日日号>の記事という、限られた情報に基づくものであるため、追加情報があり添削する必要が生じれば、そのようにいたします。

 盗み撮り事案が発生した中学校では、人権委員会がなかった、または、あったとしても機能していなかったようですが、この学校に、機能する人権委員会(以下、委員会)があったとすれば、委員会を中心に次のような解決策が実行されたと思われます。なお、必要に応じて<実際についての検証>も記述しました。

)事案発覚、即、委員会を開催し、おおまかな解決策確認。ただちに、委員全員と加害生徒クラスの担任(手が足りなければ、当該学年所属教員等にも依頼)が手分けして加害生徒から事情聴取。

   「生徒への事情聴取」とは、①解明(事実・真実を明らかにすること)をする、だけでなく、➁生徒の抱えている問題点(悩み・苦悩・課題・負担等)の理解者となり、その解決・解消策を共に考えることで生徒を支援し支える、➂➁をおこなうことで、生徒をして自己肯定感・自己存在価値感に目覚めさせる、または、それを高めさせる、ことをおこなうことである。「警察の事情聴取」は被疑者が犯罪を犯したか否か、いかなる犯罪を犯したか、処罰できる証拠は何か、という犯罪・処罰にかかるものであるが、「生徒への事情聴取」はそれと似て、全く非なるものである。「生徒への事情聴取」 は、生徒へのケア・カウンセリングといいかえることができる。「生徒への事情聴取」 をときに「警察の事情聴取」 と同じようにおこなう学校がある。その場合、生徒はつぶれてしまう、そこまでいかなくても、心に深い傷を負ってしまう。ケア・カウンセリングといいかえることができるような事情聴取をおこなった場合、生徒は成長する。問題を起こした「生徒への事情聴取」 は生徒の過ちを正すことで、①その過ちを起因させた生徒のかかえる問題点を解消し、生徒の成長を促す絶好のチャンスであり(下に<補足>)、②教員のいたらなさ・不十分さを検証・反省することで、教員もエンパワーメントを高めていくチャンスである。しかし、学内ヒエラルキー(教委→校長→教頭→上級教員→中級教員→下級教員)によって、教員同士の信頼に支えられた連帯が壊されている場合は、そのチャンスは生かされない。

   なお、基本的人権侵害事案についての生徒アンケートを実施する学校があるが、アンケートでは解明不可能。なぜなら、アンケートでは生徒はすべての事は述べない。アンケートは「物」である。「物」に対して生徒は真実を述べない。一対一で教員と心を通わせながらでないと生徒は真実(すべての事実)を述べない。人権委員会は、重大な基本的人権侵害事案についてはアンケートというようなあんちょこで便宜的なものはおこなわない。教員と生徒が一対一で話し合うことが、真実解明の仕方で、生徒へのケア・カウンセリングになる。基本的人権侵害事案についてアンケートを実施しようという発想が出てくるか否は、教員のエンパワーメントがあるか否かのメルクマール(しるし)の1つとなる。

  <補足1>さる学校の機能する人権委員会の委員であった教員の体験⇒つけっ放ししていたテレビから「△△市の〇〇が女性を殺害した」というニュースが流れた。△△市の〇〇という氏名が耳に入ったとき、教員はもしやと思いテレビ画面に目を向けると、自分が担任していたクラスの元生徒の写真が映っており、「やっぱりか」と心の中でつぶやいた。もちろんその生徒とは懇談したことがあり、その家庭・家族環境、学習環境、友人環境等を把握し、心の状況も把握しようとし、何か闇のようなものをかかえているまではわかったが、それが何で、それが何に起因するものかまでは聞き出すことはできなかった。すべての生徒と同じようにやる懇談でそこまでは生徒もしゃべらない。もっと信頼を得なければ、生徒もすべてを話すことはない。教員は、その生徒と信頼の上にたってじっくりと話しができる機会やじっくり話をしようと呼びかけるきっかけを待った(なにもないのに話をしようといって話をしても生徒は深刻な話はしない)が、結局は、その生徒は何の問題も起こすことなく卒業していった。その生徒が喫煙等の問題行動をしたならば、それを機会・きっかけにじっくりと話しをし、生徒のかかえる心の闇を消すことができた、そこまでいかなくても、それを消す力を生み出すきっかけを与えられたかもしれないのに、それがかなわなかった。その生徒については、卒業後も、 その暗い表情・住所・氏名を忘れることはなかった。以上が、ニュースを聞いて「やっぱりか」と心の中でつぶやいた背景である。

      この体験談は、生徒の問題行動は、生徒の抱える問題解決の機会・きっかけになるのであり、その機会・きっかけを生かさなければならないということを訴えている。更に、それを踏まえていえば、その機会・きっかけを生かして立ち直ろうとした生徒を罰する(一生を棒に振らさせるような処分をする)ことで生徒の立ち直りをくじいたり、追い詰めてはならない。憲法も、成人は正当な手続き(加害者の言い分も聴くことで一方的には裁くことをしない裁判等)によらなければ罰せられない、としており、児童生徒を罰する(一生を棒に振るような事態をもたらす処分は罰することになる)ことは、「非成人を罰する」「裁判等なしで罰する」ということになり二重に違憲行為である。

  <補足2><捕捉1>のようなことを言論すると、加害を容認するのか、加害者に甘い、という旨の批判が起こりますが、以下に述べる「基本的人権侵害事案に対する対応原則」に照らすと、その批判は当たらないことが理解していただけます。

「基本的人権侵害事案(成人による刑事事件は除く)に対する対応原則

①侵害行為の「結果」と「動機」がいかなるものかを検証する。

  ②「動機」が確信的なもの(他者に危害を加えることを意図したもの)でなければ、糾弾・加罰しないで、その行為が他者の人権を侵害するものであることを認識させ再行させないように、「結果」(侵害行為がもたらしたもの)の内容に応じて教え諭し(学校での事案であれば、まさに教諭の仕事)、必要あれば学習させる。

  ③「動機」が確信的なものであれば、強制力(厳しい糾弾と加罰<学校の場合は処分>)を加えつつ学習させて矯正する(反省させて再犯しない姿勢・態度にならせる)。矯正がなるまで、糾弾・加罰・学習を続ける。 

)事情聴取の解明ポイントは、①写真をネットに流したか否か、➁学校外の者に唆されてやったのか否か。盗み撮り場所はどこか。④被害者は特定されるのか。被害者の顔まで撮っているのか。⑤その他

)(2)によって悪質なものか否かを判断する。当該事案では、①動画・写真はネットに流していない。②校外者に唆されてやったのではない。③トイレでは撮っていない。以上の点では悪質なものではない。が、市の発表には「被害にあわれた女子生徒には(略)スクールカウンセラーを(略)複数配置して、心のケアに努める 」とあるので、➃被害者は特定されているようだ。このことは要配慮事項である。また、⑤少額ではあるが動画・写真を売買していた。

)事情聴取の結果、被害者が特定されているらしい点を除いては悪質性(犯罪性)はない。また、少額ではあるが動画・写真を売買していたことも見過ごせないが、ことの重大さを認識できないまま、実行したと思われる。また、加害生徒は、重大な結果をもたらした行為を行ったが、行為の動機は悪質(犯罪的)ではない。

)(4)を踏まえると、この事案を公表する必要はない。

   公表することで、かえってこの事案の解決(加害生徒の立ち直り、被害生徒の救済)を困難にする。⇒<実際についての検証>現に、公表したために、加害生徒を別室隔離せざるを得なくなって、加害生徒は氏名が広く知られることとなり、学校での居場所を失い、毎日、針の筵に座っているような状態にして、転校を余儀なくされるものもいるようだ。また、被害生徒も、自分が被害者と分かってしまったようだ。それが良かったのかどうか。自分が映っている動画・写真がきちんと処分されればそれですます方がよかったのではないか。この事案の公表によって、加害生徒は一生を棒に振る恐れがある。また、被害生徒のなかには、PTSD等に一生苦しめられる生徒もでてくるかも知れない。学校・教員の最大・最低限の任務は、児童生徒を安全安心に学校で過ごさせることであり、かかる事案を発生させたことは、学校・教員が最大・最低限の任務を果たしていなかったということである。事案を発生させただけでなく、更に、加害・被害生徒の安全安心を脅かすことを学校・教員はしたのではないか。学校・教員の任務は、基本的人権侵害行為の加害生徒を立ち直らせ、被害生徒を救済することである。いきなりの事案公表は、この任務を放棄したものと言える。加害者は成人ではなく、ましてや、基本的人権侵害行為などおこってはならないところ(学校)で起こった事案により、一生を棒にふるような罰を与える権限など、だれにもない(成人についてさえ、憲法は、裁判等の正当な手続きによることなしに罰してはならないとしている)。成人と違って正誤の判断力がまだ未熟な生徒が、その判断力を成長させていくところが学校である。 

)詳しく事情聴取する必要のある加害生徒は11人程度で、全員、「グレ」でも「反グレ」でもなく普通の生徒で、中には号泣して反省した者もいた。これだったら、通常、2時間もあれば、全員の事情聴取を終えて、その内容をまとめて全貌を明らかにすることができる。

   <実際についての検証>ただし、この学校では、生徒と教員の信頼関係があったのかどうか。それがなければ、いくら時間をかけても、生徒はすべてを話すことはない。この事案は、「別の性的いじめ」についての事情徴収がきっかけで教員の知るところとなった。ということは、この学校はいじめ、つまり基本的人権侵害、を発生させる構造or体質or要因・要素or契機を持っていて(「別の性的いじめ」をした3人の中には盗み取りにかかわった生徒もいた)、かかる学校しか作れていない教員を生徒は信頼していなかったとの推測も可能。また、この事案は昨年の2学期はじめ(9月)から発生していたもので、クラスのほとんどが知っていたという。この事案は5か月間も続いていており、しかも、クラスのほとんどが知っていたにも関わらず、だれ一人として教員に相談しなかったということも、教員が信頼されていなかったことが実証される。それを踏まえると、事情聴取において、加害性生徒は全部を話したのか、撮った動画・写真や撮影器具を全部提出したのか、ということに疑問が残る。週刊誌は「まだ見つかっていない動画が存在すると噂されていて、それは女子トイレの盗撮動画です。彼らが撮ったものを、動画投稿サイトの『ユー・チューブ』に流していたのではないかとも言われているのです」(別の学校関係者)と書いているが、これは、週刊誌特有のうわさ話による煽りと思われるが、それを、単なるうわさ話にすぎないと斬って捨てることができるだけの自信ある事情聴取ができたとは断定できない(うわさ話を払拭するには、万一盗撮動画・写真が流れていれば、それを抹殺するよう警察に依頼する他ない)。 ここでも、いじめは「一撃必殺」の場合がある。に書いたことの大切を思い知らされます。  [追記(20.3.18)] 産経新聞(20.3.10)からの引用⇒同校では年に2月と6月の2回、勉強以外の悩み事を打ち明けられるよう生徒と担任の2者面談を行っている。当時は面談期間中だったが、学校関係者は盗撮を明らかにした生徒らについて、「知っているのに面談で話すことができず、心に引っかかっていたのではないか。勇気がいったと思うが、よく話してくれた」と気持ちを代弁した。(引用おわり) やはり、この学校では、生徒がどんなことでも、勇気なしでも教員に相談できる、という生徒と教員との信頼関係が築けていなかった。もし、「別の性的いじめ」での事情聴取がなかったならば、この事案を教員は知ることがなかった。人権委員会が機能している学校(いじめなど起こりようのない学校)では、わざわざ面談期間など設けなくとも、いつでも生徒は教員に相談する。 同紙の引用⇒「同級の女子生徒がいじめられている気がする」。2月6日、クラブ活動を終えた女子生徒が教員にこう相談した。男子生徒らからみだらな言葉でからかわれているという。学校側はすぐに調査を開始したが、加害の特定には至らなかった。翌7日、いじめを受けたとされる女子生徒と保護者が学校を訪れ、学校側が改めて事実確認をした結果、いじめと認定。関わった男子生徒3人を午前の授業中に呼び出し、別室で指導した。(引用おわり) やはり、この学校では生徒からの相談を受けるやいなや素早く問題を解決できる教員のエンパワーメントがなかった。教員は生徒からの相談をまともに受け止めず、被害者と保護者の訴えがあって慌てて事の重大さに気付いたと推察される。こんなだから、生徒は教員を信頼せず、相談もしなかったのであるといえる。 

)万一の盗撮動画・写真の流出への対応を警察に依頼することの是非、一刻も早くにか適切な時期にかの判断は、事情聴取により事案の全貌がおおまかに分かった時点で委員会が速やかにおこなう。  

)加害生徒は、「グレ」でも「反グレ」でもなく普通の生徒であったので、事情聴取する中で、心から反省した(だからといって、すべてを教員に話したとは限らないのは、上記した通りだが)。そこで、加害生徒に、その反省を、事情聴取後、直ちに文章化させ、的確な文章となるよう、教員がアドバイスする。ここまでを、事案が発覚した日のうちに(日付が変わるまでに)に完了する。この事案は重大事案ではあるが複雑なものでないため、そのことは可能。

)翌日、始業時までに臨時職員会議を開催し、当該事案についての生徒・保護者への説明内容を確認。加害生徒も普段通りに登校させ、全クラスの1限目の授業をホームルーム(課外授業をする時間)に切り替え、各担任は次のことを骨子とする説明を行う。

  ①「残念なことが起きました。一部の生徒が盗み撮りをおこないました。その生徒は心から反省しています。」と言って、加害生徒の名は伏せながら、その反省文を読み上げる。

  ②「盗み撮りされた動画・写真はネットには流れていないし、顔も映っていませんでした。その動画・写真はすべて没収して廃棄しましたので、安心してください。

  ③「このような残念なことが学校で起きてしまったことは全教員に責任があります。今後は、2度とこのようなことが起こらないような学校にしていきます。皆さんが安全安心に過ごせる学校にしていきますので、これからも元気に登校してください。」なお、このとき、「皆さんも協力してください」という旨のことは決して言ってはならない。この言葉を、当該事案が起こった責任を協力しなかった生徒に押しつけている、と受け止める生徒も出てくるし、この言葉は、盗み撮りのことを知りながら教員に相談しなかった真面目な生徒にとっては、協力しなかったことを責める刃となる。また、この言葉により真面目な生徒は、大きな精神的負担を負い、のち、協力できなかったと自分で思うような場面があったとき自分を責めることになる(少数かもしれないが、かかる純粋な真面目な生徒は必ずいると思わなければならない)。

  ④「今回のことで傷ついた人や悩みが生まれた人は、必ず担任まで相談してください。」

    なお、心の悩みを含め一切の生徒の相談は、担任が行わなければならない。その理由は、この文「専門的知識等を有する者」を学校に置くことの弊害について述べた箇所をご参照。特に今回の事案に起因する悩み等のケアは、生徒が卒業するまで続くものであることを考慮するだけでも、非常勤・非常駐・高交替率の校外のカウンセラー等に委ねてはならない(ご参照 Ⅰご参照 Ⅱ)。 

10)(9)のホームルームで生徒への説明をおこないながら、生徒の反応をサーチしておき、生徒の反応を主とするホームルームの結果を検証する臨時職員会議を昼休みに開催し、教員の意見を聞く。それを受けて、人権委員会を開催し、それ以後の緊急の活動の必要性を検討。更なる緊急に活動する必要性があるものがあれば、それを実行する。緊急に活動するものがなくなった段階で、速やかに、今回の事案を発生させてしまったことの反省()に立った今後の学校のあり方(いじめなど起こりようがない学校)の案を作成し、全教員が職員会議(必要あれば事務職員にも参加いただく) でそれを共有し、実行する。その職員会議終了後、速やかに(事案が発覚した日の2~3日後に)保護者説明を開催。以上で、当該事案についての取り組みは一段落させ、以後は、当該事案に起因する生徒の心の悩み等についての、発生していないかどうかのサーチと対応を生徒卒業まで続けつつ、学校を2度といじめなど起こりようのない学校にしていく。

   ()1年生が1学期に人権侵害事件を起こした場合は、その原因を、生徒の人権尊重意識の未熟に起因すると見なすことができる。しかし、2年生で、しかも、2学期に人権侵害事件を起こしたとなると、それは、生徒の人権尊重意識を育むことができなかった教員に責任がある。そのことを猛省しなければならない。そして、それを踏まえて、事件を起こした生徒を指導するだけで済ますのではなくて、いじめを惹起する構図or体質or要素or要因を学校から取り除きながら、学校を「人権意識が育まれる学校=いじめなど起こりようがない学校 」にしていかなければならない。

~以上、今後の添削余地あり~

【20. 3.31】市教委「市内中学校における盗み撮り事案再発防止に向けた取組について.pdf(この内容文書は各議員にも配布された。) 

【20. 2.25】市教委「市内中学生による盗み撮り事案を受けての生駒市教育委員会としての対応について.pdf

  ①上記の【1】「いじめなど起こりようがない」学校を読んでから再度このお知らせ文を読んでみてください。

  ② 「心に傷を負われた生徒及び不安に感じている生徒に対して、スクールカウンセラーによる手厚いケアを行います。」・・・普通教員は日頃から、「不安なことや悩みがあったらいつでも相談しにきてね」といいます。そんな教員をないがしろにしています。それとも、この学校の教員は教育のABC(生徒・保護者の相談に応じる)を実践していないのでしょうか。

  人権に関する講演等、今回の事案に関わった生徒を含む学校全体で人権教育を踏まえた生徒指導を充実します。」・・・この文が何をいいたいのかがよく分かりません。「学校全体で、人権に関する講演等の人権教育を踏まえた、今回の事案に関わった生徒を含む生徒への指導を充実します。 」あるいは「今回の事案に関わった生徒を含む学校全体で、人権に関する講演等の人権教育を踏まえた生徒指導を充実します。 」あるいは「今回の事案に関わった生徒を含む学校全体で、人権に関する講演等の人権教育を踏まえた生徒指導を充実します。 」ということを言いたいのでしょうか。重大な案件について、意味の通じにくい文が書かれたことに不安を覚えます。

  ④「市教育委員会事務局の指導主事を派遣し、学校の運営体制を強化します。」・・・当該学校の教員エンパワーメント自発的・自主的な力)を高めることなくして運営体制の強化はなし得ません。自発的・自主的でない外部の力による運営体制の強化の内容に不安を覚えます。

  ⑤「(当面の対応策として)学校、市教育委員会及び県教育委員会その他関係機関との緊密な連携により、今回の事案に対して適切に対応していきます。 」・・・基本的人権侵害事案の解決は時間との闘いでもあります。加害生徒・被害生徒へのケアは長く続く場合もありますが、大筋では速やかに解決を完了しなければなりません。「まだ当面の対応が続くのか=だらだらと対応している」という不審を感じます。 

【20. 2.22】生徒を犯罪である可能性を持つ事件の被害者・加害者にしてしまうところは学校といえるのでしょうか<ご参考ミラー>。

【20. 2.21】いじめは「一撃必殺」の場合がある。  

【20. 2.13】<20.3.18 一部添削>「自己と他者の基本的人権を共に尊重していく人間として成長していく場(それは、児童生徒も教職員も全員が安全安心に過ごせる場でもある)を提供する」ことが、学校の役割であり、教員の任務です。しかし、この記事ミラーこの記事.pdf読むと、そのような本来の役割や任務を放棄している学校や教員が増えていることが改めて分かります。以前より発っせられていた、「学校・教員は本来の役割・任務を忘れるな」という警告がいまだに受け入れていないことから、学校での基本的人権侵害行為(生徒による生徒へのいじめ・暴力・盗撮 、教員による生徒へのいじめ・暴力・盗撮、教員による教員へのいじめ・暴力・盗撮・セクハラ・パワハラ等)があとを絶たないのです。学校での基本的人権侵害行為を個人の問題にしてはなりません。生駒市の学校のあり方についてもこの観点から見直していく必要があります。 

 生駒市立中学校生徒盗撮事件においては、被害生徒の顔や氏名が特定されるという最悪の事態は生じなかったことで安堵できますが、ネットでは、「学校は治外法権ではないから、加害生徒を厳罰にせよ」とか「事件を学校のせいにするな」といった、事件を個人の問題にせよという意見であふれています。しかし、事件の背景に、学校・教員が本来の役割・任務を忘れていたことがあるのではないか、ということを検証する必要があります。

 この事件が起こった学校では、女子生徒に卑猥な言葉を平気で投げつけるといういじめがなされ、それの通報がきっかけで、この事件が発覚しており、この学校は性的ないじめが起こる構造or体質or要因・要素or契機をもった学校であり、その上にたって起こったのがこの事件でした。この学校は、いじめなど起こりようがない学校(「自己と他者の基本的人権を共に尊重していく人間として成長していく場 」「生徒も教職員も全員が安全安心に過ごせる場 」)ではなかったのです。

 「基本的人権侵害(いじめ等)はどこの学校でも起こり得る。だから、基本的人権侵害(いじめ等)が起きない対策をしなければならない」ではなく、「基本的人権侵害が起こり得るところは学校ではない」「基本的人権侵害が起きない対策をしなければならないところは学校ではない 」「学校とは基本的人権侵害など起こりようのないところである」ということを肝に銘じながら、学校・教員が本来の役割・任務を遂行しなければなりません。実は、こんなことは教育のABCなのですが・・・・・。

 念のためですが、「教育のABCを実践している学校=基本的人権侵害など起こりようのない学校」はあります。

無電柱化

)経過

 16(H28). 9 つくば市無電柱化条例公布・施行 

 16(H28).12 無電柱化推進法公布・施行

 17(H29). 6 東京都無電柱化推進条例公布(同9月施行) 

 18(H30). 4 無電柱化推進計画策定 

 18(H30). 9 芦屋市無電柱化推進条例公布(同11月施行) 

 19(R 1).10 奈良県無電柱化推進計画

 19(R 1). 9 千葉県を襲った台風15号で、千葉県内では電柱約2000本が倒壊し、2週間以上、停電が続いた地域も出た。 

推進法の解説  無電柱化革命

無電柱化 自治体の動き

 ①推進条例・・・つくば市・白馬村

 ②推進計画・・・大阪市   世田谷区  狛江市  草加市

 ③基本方針・・・東京都北区  東京都新宿区

 ④推進事業・・・札幌市  三島市

 ⑤奈良市・・・JR奈良駅周辺・薬師寺周辺・興福寺周辺・三条通り (完了)、あやめ池住宅地・佐保台住宅地・青山住宅地(完了)、学研奈良登美ヶ丘住宅地(途中)

 *地方公共団体における無電柱化の取組状況

「脱 電柱社会」実現のために(17.8)  (社説)無電柱化 防災の観点から本腰を(17.2)   (社説)無電柱化 推進法が泣いている(19.5)  無電柱化を進め、美しく安全な街並みを作ろう!(18.8)  なぜ日本では「電線の地中化」が進んでいないのか?(17.11)  3つの目的(17.2)  電柱と災害との関係(18.9頃)   無電柱化企業リオリゾーム 

)一般質問・・・埼玉県(18.6)  小平市(17.2)  茨城県(18.12)  南国市(17.3)  東京都(18.6)  にかほ市(16.9)   深川市(16.9)  吉川市(16.9)  門真市(17.9)  

* 

矢田丘陵(記紀では「平群の山」)

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矢田丘陵(平群の山)の地図.jpg

(1)記紀

  ①イノチノ マタケムヒトハ タタミコモ ヘグリノヤマノ シラガシガエヲ ウズニサセ コノコ(命の満ち溢れた人は、平群の山の白橿の枝を、髪飾りとして髪に挿しなさい。この子よ。)<日本書紀 景行紀>(講談社学術文庫版)

  命の 全またけむ人は たたみこも 平群の山の くま白檮(くまかし)が葉を うずに挿せ その子(命の完全な人は、平群の山のくま樫の葉を髪に挿して、生命を謳歌するがよい。みなの者よ。)<古事記 景行記>(講談社学術文庫版)

    たたみこも・・・まこもの葉を編んだ敷物を「一重」「二重」と数えるので、「重」から「平群」にかけた枕詞 

 ②初め大后日下くさかに坐いましし時、日下の直越ただごえの道より河内に幸行いでましき・・・・・ここをもちて宮に還り上がります時、その山の坂に行き立たして歌曰(うた)ひたまはく、「日下部くさかべの 此方こちの山と 畳薦たたみこも 平群の山の 此方此方こちこちの 山の峡かひに 立ち栄さかゆる  葉広熊檮(くまかし) 本もとには いくみ竹だけ生い 末すゑには たしみ竹だけ生ひ いくみ竹 いくみは寝ず たしみ竹 たしみには率寝ず 後のちもくみ寝む その思ひ妻づま あはれ」と歌ひたまひき(始めのころ、皇后ワカサクサカベノ王が日下におられたとき、天皇は日下へまっすぐに越える道を通って河内においでになった・・・・・こういう次第で天皇は朝倉宮にお帰りになったが、あの山の峠に通じる坂の上にお立ちになって、日下部のこちらの山と、平群の山の、あちらとこちらの山の峡谷に、繁茂している葉の広い大樫。その木の根元には、こんもり茂って枝をさしかわした竹が生え、こずえのほうの斜面には、枝葉に密集した竹が生えている。(いくみ竹)組んでは寝もせず、(たしみ竹 )たしかには共寝もしない。が、将来はきっと組み合って寝よう。そのいとしい妻よ。ああ。<古事記 雄略記>(講談社学術文庫版)

    いくみ竹の「い」は接頭語で、「くみ」は「組み」。たしみ竹の「た」は接頭語で、「しむ」は密集している意。  

(2)万葉集(巻16-3885)

 

(3)資料

  ①wikipedia

  ②平群の山(矢田丘陵)に おける松茸利用の歴史.pdf

 

生駒山地

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 生駒山地(wikipedia)は、北は淀川、南は大和川に至る、東西4~5km、南北35kmの細長い山地。

183  古くは、西側に、海の向こう方面への門戸的役割を果した河内湾・河内潟・河内湖、東側南部には龍田川の上流の生駒谷、下流の平群谷、その東側の矢田丘陵(記紀では「平群の山」)をはさみ、大和湖(奈良湖)を擁していた(右地図ご参照<クリックで拡大>)。

 その山容は、標高642mの主峰wikipedia)付近は蓋形をなし、その北側につづく北嶺は平均320mの嶺をなし、清滝峠(247m)、妙見山(144m)を経て淀川に至り、南側につづく南嶺は、455mの暗峠で高さを減じ、522mの大原山.jpgをはさんで、鳴川峠(402m)からは平均450~430mの嶺をなし、十三峠(431m)、高安山(488m)・信貴山(437m)を経て大和川に至り、そこに亀の瀬渓谷をつくり、それをはさんだ南側の金剛山地に連なる。

 古くから、生駒山地を東西に越える峠道は多くつくられてきた⇒生駒山越の峠道をご参照

 ご参考・・・ 生駒山のハイキングマップ YAMAP / ヤマレコ 

 

「生駒山の飛火(とぶひ)が岡」の「高見の烽(とぶひ)」

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(1)万葉集 巻6-1047の長歌には「射駒山いこまやま 飛火が嵬たけ」という地名が出てくる。現代文にすると、「生駒山の飛火が岡」である。

(2)710年に都が藤原京から平城京に遷されたことに伴い生駒山の飛火とぶひが岡に設置された、のろし(烽火・烽燧・狼煙)を上げる施設である烽(飛火やのろし台ともいう)が高見の烽である。飛火が岡は烽の設備のある高地のことで、射駒山(現生駒山)のそれは、暗峠(455m)の北側すぐの天照山てんしょうやま.jpg(510m)であったとされている(現在の生駒山上の旧天文台跡地にあったとの説も捨てがたいが)。現在も天照山上に残されている石組は高見の烽の遺構と考えられている。また、天照山は江戸時代から近代に至るまで、堂島米市場の米相場を東海地方に伝達する「旗振はたふり(米相場を旗を振って伝達するための中継点の山)」であったことも、「高見の烽は天照山上にあった」との説を支持している。

(2)続日本紀の和銅五(712)年の記事に「河内の国高安の烽を廃して、はじめて高見の烽及び大倭の国春日の烽を置き、以って平城に通ぜしむ也」とあり、712年より、高見の烽が、対馬・壱岐・筑紫方面から伝達されてきたのろしを春日の烽(若草山や飛火野等が推定地)に伝達することで、平城の都に大陸・半島方面の情報を知らせることになった(これに伴い、のろしを飛鳥の都方面に伝達していた高安の烽は廃止された)。平城京と生駒山上との直線距離は約11km、途中に立ちはだかる山はない。

  烽は、663年の白村江の敗北によって高まった、飛鳥の都へ緊急の知らせを伝達せねばならないという対唐・対新羅の軍事上の必要性から664年に置かれた(日本書紀の天智紀に「この年、対馬・壱岐・筑紫国などに防人と烽をおいた。」と記されている)。なお、667年には、国土を守る最前線の対馬には金田城 、瀬戸内海の制海権を守るために屋島には屋嶋城、都を守る要衝の高安山には高安城が築城されたが、その場所はいずれも飛火が岡(烽の設備のある高地)であった(ようだ)。 

(3)794年に都が平安京に遷されると、それに伴い、796年に牡山おとこやま(現京都府八幡市男山)の烽が置かれ、そのころに高見の烽は廃止された。

(4)参考資料・・・奈良歴史漫歩 No.063 / 難波京の防衛システム  /山と旗とのろし台

(参考)古代の烽

 ①烽が対馬から都に伝達されたルート.jpgこの番組の一場面)<出典元

 ②対馬→壱岐→筑紫→〇〇→〇〇→屋島→〇〇→難波(現真田山?)→高安・高見・牡山→飛鳥京藤原京<〇〇>・平城京<春日>・平安京<〇〇> 

 ③烽については「養老軍防令」(718年)に規定があり、約 20km ごとに設けられたこと。昼は煙を焚き、夜は火を放ち、伝達方向の烽(前烽)が反応しなければ、走って行って伝えるべきことなどが記されている。

(参考)生駒山地旗立山.jpg(486m)には、南北朝時代に見張り場があったとされる。 

(付記)以上のことを基に、生駒検定<全国版><問13>歴史を見つめてきた暗峠を作成いたしました。

生駒山のこと  

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