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民間人校長制度が公立学校の教育を荒廃させる理由  

)民間(企業と言い換えることが出来る)の論理と公立学校の理念の相違

 ①民間(企業)の論理は「熾烈な競争に打ち勝って少しでも多くの利潤を獲得するよう努力することが大切」であるのに対して、公立学校の理念は「みんなが幸せになれるようみんなで力をあわせることが大切」というものである(わかりやすく言えば、「泳げないものは沈めばいい」を標榜するグローバル企業のトップを名経営者としてもてはやすのが企業(民間)の論理であり、そのような非人間的な論理を克服しようというのが公立学校の理念である)。 関連記事 : 手本とされるグローバル企業ユニクロ

 ②①のように公立学校の理念とはまったく正反対というべき民間(企業)の論理を「民間活力(熾烈な競争に打ち勝つ力)の導入」などと称して公立学校に導入しようとするから公立学校の教育を荒廃させるのである。

 *大阪市で採用された11人の民間人校長のうち1人は、「思い描いた職場と違う」と述べて3カ月足らずで退職した。この方は、いち早く①のことが認識できたため辞任した。この方の突然の辞任という行動は、民間人校長制度に異を唱えた不器用だが誠実な行動だったといえる。

 *民間人校長のうち別の1人は、虚偽アンケートを実施した。配布先は教職員・保護者・地域団体役員の約80名で、内容は民間人校長について「授業力や指導力の向上のための施策を行なっているか」などを問うもので、配布先・内容共に問題はない。しかし、実施者を市教委としたことは虚偽であり許されることではなかった。実施動機は「民間人校長は研修で非常識な態度が見受けられ、・・・・・公募校長の検証(来年度の採用前の総括)が必要と思った」とのことである。このアンケート実施という行動は、実施者を偽ったことは批判されるべきであるが、民間人校長に疑義を唱えた行動だったといえる。

)民間人校長(素人)と公立学校教員(専門家)との軋轢(素人による専門家の管理)

 ①公立学校教員は教員免許(公共教育をおこなう資格)を持つ、いわば公共教育(「基本的人権=互いの存在を認め尊重しあうこと」を会得して、みんなが幸せになれるようみんなで力をあわせることが自然にできるような人間になるよう教え育くむこと)の専門家であるのに対して、民間人校長とは民間(企業)の論理を公立学校に導入しようする人であるから教員免許を持つ必要がないどころか、それを持つほうが不都合な人なのであり、いずれにしても、公共教育の素人なのである。民間人校長制度とは、いわば、素人(ジャンボ機パイロットの免許を持たないもの)が数百人の生徒が乗ったジャンボ機を操縦するようなものである。

 ②①のように公共教育の素人を「民間活力の導入」などと称して公立学校の校長(教員を管理する管理者)にするから教育を荒廃させるのである。

追伸1>「11分の6の衝撃」が民間人校長制導入の異常性を実証している⇒報道記事.pdfご参照報道記事.mht

追伸2>民間人校長制度の導入を待つまでもなく、公共教育(「基本的人権=互いの存在を認め尊重しあうこと」を会得して、みんなが幸せになれるようみんなで力をあわせることが自然にできるような人間になるよう教え育くむこと)は1部の学校で崩壊している。または、崩壊しつつある(公共教育の専門家である教員が、民間人校長制度導入が象徴的に示しているように公共教育を推進できない環境(※)におかれるようになったことが、それに拍車をかけている)。それが、いじめ・体罰・不登校・問題行動といった教育問題がいつまでたっても解決しない理由である。

  (※)公共教育を推進できない環境 : 学校教育力の低下をもたらしている制度・法律等の導入設置等

<参考>民間企業の求める(望ましいと考える)人材は「ビジネスの場(お客さんにサービスを提供してお金をもらうこと)で活躍できる」人材<なぜ「カンボジアで学校を作ってきた」大学生は就活で落ち続けたのか?ミラーご参照/映画「何者」(16 日/1610公開/原作は、朝井リョウの直木賞作品「何者」/公式サイト>。かかる人材を求める(望ましいと考える)民間企業で活躍してきた者は公立学校での教育実践は不可能。教育統制を行う学校「管理」は可能。ただし、教育統制を許さない教職員と衝突する。

   

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