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「野生時代」(2010.7月号)~総力特集 竹とペンギンと森見登美彦~<抜粋>

 ・・・・・『太陽の塔』でのデビューから7年。10作目の最新刊『ペンギン・ハイウェイ』で新境地を拓いたかれは さらなる高みへと歩を進める。ゆるゆる、のらくらと、着実に。〈ペンギン〉から〈竹〉へ――。その言葉の意味するものとは。京都とヘタレ大学生という専売特許を封じて挑んだ新作への思いと不安、そして次作への意気込み……。作家〈森見登美彦〉の素顔に迫る。

                     ロングインタビュー 物語を動かすエンジンは「片思い」  

 森見登美彦がついに京都を飛び出した!森見氏のいうところの、「第10子」、つまり10冊目となる最新刊『ペンギン・ハイウェイ』の主人公は、郊外にすむ小学4年生の少年、新境地に挑んだ胸中と、その跳躍を可能にした創作方法論に迫る。

                     『ペンギン・ハイウェイ』から森見ワールドの第2章が始まる

 もしかしたら森見登美彦という作家を本当はよくわかっていなかったのかも知れない。京都在住で京都を舞台にした小説を書く作家、思わずひきこまれる文体の力、そうした認識はお歳暮にハムをくれたから〈ハムの人〉というくらいの、うかうかとしたものに過ぎなかったのではないか。思わず反省してしまったのは最新作『ペンギンーハイウェイ』がこの作家の第2章の幕開けを告げるようなみずみずしい魅力をたたえていたからだ。

 「デビュー作の『太陽の塔』から見たら『ペンギンーハイウェイ』はもう、全然違うところにいると思うんですよ。『太陽の塔』を書いた時には腐れ大学生しか書けないイメージだったし、自分でもそう思っていた。だからすごい変わってきてるはずなんです。変わってきてるんだけど、でも自分の中にまったくなかったものかと言うと、『太陽の塔』を書いた時から『ペンギンーハイウェイ』を書くような素養や性質はたぶん自分の中に明らかにあって、それがわかりやすく外に出ていなかったんだと思う。きっと深くまで掘っていくとおおもとは変わっていない。ただその使い方、料理の仕方がだんだんとわかってきたということなのかなという気がして」

 『ペンギンーハイウェイ』の舞台は京都ではない。郊外の住宅地である。ある日忽然と現れたペンギンの謎を追って、小学4年生のアオヤマ君の冒険が始まる。

 「そもそもなんでペンギンなの?って話ですよね。別に理屈じゃなくて直感ですけど、ペンギンって遠目に見たらプラスチックで出来てるみたいな嘘くささがある。南極にいてても違和感がありますからね。こいつらはこんなところで何してんのやろうと。とこにいてても違和感のあるヘンな生き物て」

 ちなみに「ベンキン・ハイウェイ」とはペンギンが海からあがってくる道のことを指す。よちよち歩いてるその道のどこか一体〈ハイウェイ〉やねん!と思わす突っ込みたくなる言葉である。

 「そうそう、そう思いますよね。なんだそれはと(笑)。〈ハイウェイ〉も人工的な感じがする言葉だし、道がずっと彼方まで延ひている感じがする。ここから未知の何かにつながってるんしゃないか。そういう感覚が僕は好きなんてすよ。〈ベンギンーハイウェイ〉という言葉を知ったから、これを書けたような気かします」

                     物語のアイデアの大半は言葉からやってくる

 そうした牛-ワードから物語が立ち上かってくることは珍しくないらしい。

 「わりと僕はそうなんてすよ。たとえばタイトルって一番大きいキーワートじゃないですか。・・・・・。」

                     これまでの方法論で物語を書き始めたはじまりの場所へ

 「・・・・・自分がなんで『太陽の塔』や『四畳半』みたいな小説を書けたのかっていうのを考えた上で、もういっぺんその方法論でやり直すところから始めたのが『ベンギンーハイウェイ』でした。」

 では舞台を郊外にしたのはなぜだったのか。実は主人公のアオヤマ君と同じ年頃に、森見少年も郊外の住宅地に住んでいたのだという。

 「9歳の時に家族で奈良県の郊外に引っ越したんです」

 奈良と言っても大阪のベッドタウンだったその町は住宅地とはいえ、まだ森や空き地も残っていて、お父さんとよく探検したらしい。京都と同じく、郊外は森見さんがよく知っている場所なのだ。アオヤマ君は日々の発見をノートに記録しているけれど、森見少年が原稿用紙に物語を書き始めたのもその頃のことだ。小説家として原点に再び立ち返ろうとしたこの人は、かつて自分自身がものを書き始めたはじまりの場所を舞台に選んだ。

 アオヤマ君はまだ海を見たことがない。人は死んだらどうなるのだろう。宇宙はどうなっているのだろう。それは日常がまだ知らない大きな謎につながっていたあの頃の感覚こそが森見ワールドの原点だったからに違いない。そして、『ベンギン・ハイウェイ』はアオヤマ君の初恋の話でもある。彼にとって忽然と現れるペンギンに匹敵する謎は歯科医院のお姉さんなのだ。

 「なぜ片思いばかり描くのか?なんででしょうね。主人公がちゃんと動くからじゃないですかね。放っておくと僕の主人公っていうのはうじうじ悩んで目的を見失いがちなんで(笑)。ただ、実際のところ、主人公がくっつくかくっつかないかはそんなに大事ではない。『夜は短し』でも最後になるまで別にくっつけなくてもいいかと思っていたくらいなので。片思いはお話を動かすエンジンみたいなものなんですよ。主人公の目的さえ決まってしまえば、最後にくっついてもくっつかなくても、途中はどんなふうにも話を膨らませられるから片思いを書くんだと思います」

 目的が決まらないと途中を楽しめない。それは何も小説に限った話ではないというから、面白い。

 「僕は趣味らしい趣味ってなくて、せいぜい散歩ぐらいなんですけど、あてもなく散歩するっていうのがすごい苦手で。たとえば、近所の本屋さんに行くとか何かしら目的がないと、もう家から出ないんです(苦笑)。でもたとえば職場から家に帰る時って、最終的には家に帰るって目的があるので、すごい散歩しやすい。これは家に帰る道中なんだと。その途中で変わったものを見たり、いつもと違う道を通ったりするのはすごく楽しい。たぶん〈自由〉が苦手なんじゃないでしょうか。」

                     ついに最強のヒロイン登場?次回作は 森見版『竹取物語』

 さて、今冬には本誌で『異邦の姫君」』(仮)の連載を予定している。ベース」は『竹取物語』。エッセイ『美女と竹林』を書いたほどの人である。これは期待せずにはいられない。「まあ、子供の頃から竹が好きでしたからね。竹については少しは知っていますよ。ミキサーにかけて分解したくらいですから。」なんでまた竹をミキサーに?「大学院で竹からたんぱく質を取り出す研究をしていたので。そういう経験のある人はさすがにあまりいないでしょう。子どもの頃は当たり前に読んでましたけど、『竹取物語』というのも異様な話ですよね。よくもまあ、こんな時代にこんなへんてこな話ができたなと。しかも自分が竹に対して抱いているイメージとぴったり重なるんですよ。確かに竹ってペンギンと同じで、ほかの植物とは違う特殊な生き物という感じがある。竹林は竹が占有してほかの植物が生えないから、中に入るとヘンにひっそりした感じがあるんです。昔の人もそれでここはほかの森や林とは違うって感じがしたのではないか。たぶんそれで月と結びつけたんだと思うんですけど、その発想の仕方がまるっきり僕の感覚と同じだなあと思って」・・・・・。

                            対談 森見登美彦 美女(大江麻理子さん)に会う

                              森見登美彦作品を担当者が熱烈プレゼン

                                   (各図 クリックで拡大)

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                          『ベンギンーハイウェイ』大解剖ペンギンが歩き出すまで

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                 『ベンギンーハイウェイ』大解剖『ベンギンーハイウェイ』を読み解く 8つのキーワード

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                              < 『ベンギンーハイウェイ』大解剖アオヤマ君の冒険記録

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                     <森見登美彦の素顔に迫る!>とある一日を「チラ見せ

                     <森見登美彦の素顔に迫る!>愛用の品々を「チラ見せ」

                     まったりお酒を飲みながら今週の特集を振り返ってみました.jpg

                     特別エッセイ 森見登美彦 連載開始宣言 回避失敗宣言

 なによリ『ペンギンーハイウェイ』が完成したのは喜ばしい。
 連載が終わってから本にするまで、大幅な改稿に一年半かかった。新聞連載などのやむを得ぬ事情があったとはいえ、できるだけ満足のいく形になるまで待っていただいた担当の方々に感謝いたします。
 『ペンギンーハイウェイ』は私にとって、『太陽の塔』と同じぐらい大切な小説である。しかし残念なことに、作者にとって大切だからといって、読者にとっておもしろいということにはならない。むしろ作者の思い入れが空転して、かえって害になりがちである。なるべくおもしろくなるように努力したつもりだけれども、現在の私は我が子かわいさのあまリ冷静な判断力を失っている可能性もあり、不安は尽きない。
 でも今さら、どうしようもないのである。
 『ペンギンーハイウェイ』はこれまでとは毛色の変わった作品である。表面だけを見れば、私の書いた怪談集である『きつねのはなし』よりも、いっそう変わっている。『四畳半神話大系』が映像化されて、今になって四畳半主義腐れ大学生作家としての知名度が上がっているところに、こうした毛色の変わった本を出すと、「ナンデスカコレワ!」と思う人が多いかもしれない。怒られたときは、「読者の期待にこたえないこともまた作家の大事な仕事ですヨ!」とうそぶいて南の島へ逃げようと思う。
 そういうわけで久しぶりに新作が出るので、今回の「特集」ということになった。
 私か初めて「野性時代」で特集をしてもらったのは、二〇〇七年のことである。そのときは、まさか自分の特集なんぞ成り立つとは思っていなかったから、たいへん驚いた。そんなのは似非文学青年(=私)の個人的妄想の話だと思っていたのに、関係者の方々はちゃくちゃくと準備を開始し、用語集や作品の解説、本上まなみさんとの対談などと盛りだくさんの内容がアレヨアレヨという間にできあかって、これは夢かと思ったほどである。そうして二〇一〇年になって、二回目の特集をしていただくということになったわけだけれども、今回もまた現実という感じが」しない。嘘くさい。あの二〇〇七年以来みんなにずっと騙されているのではないかという気持ちがどこかにある。
 私は驕り高ぶりやすい人間であるが、一方で自分の希有な幸運をつねに疑う猜疑心もあり、それがあるていど歯止めになっている。そうでなければとっくの昔に桃色の花を脳みそに咲かし、「売れッ子になったよ!やーいやーい!」と誰にともなく叫びながら、阿呆の草原をころげまわっていたことであろう。そういうことをしても一週間ぐらいは編集者の人たちも大目に見てくれるかもしれないというぐらいには本が売れた。「売れッ子になったよ!やーいやーい!」と叫んで阿呆の草原をころげまわることを大目に見てもらえるかもしれないという状況がどれぐらい恐ろしいものであることか、ということはいずれ時間が明らかにするだろう。驕り高ぶればその先は没落あるのみである。諸行無常である。サヨナラである。
 ほんの十年ぐらい前まで、自分の書いた文章を欲しがってくれる人がいるということが、すでに甘美な妄想であった。かつて自分がそれを熱烈に求めていたという事実が私の心にスキを生み出す。仕事の依頼を断るということは過去の自分を裏切ることであり、不愉快極まることである。そういう私の心のスキを、編集者の人たちは鋭く見抜く。そもそも私は、基本的に心中を見抜かれやすい人間なのである。それに私は、何かおもしろそうな提案があると、ただでさえゆるゆるの心のスキをさらに広げるタチだった。
 そのために二〇〇七年頃から締切の数が増え、今ではうかつに締切を「甘美」などとは言えなくなった。哀しいことである。
 世の中には怪物のように仕事ができる人たちがいて、たとえば私などよりもはるかに過酷な本業を持ちながら、そのかたわらで質量ともに素晴らしい作品をモリモリ書く人もある。ここ数年、私も「いずれ自己管理能力のある男になって、驚くべき仕事をこなせるようになるかもしれない」と期待し、能力に見合わない数の締切に立ち向かって奮闘してきたが、いくらなでも才能の大きさや実務的能力というものは人それぞれであって、努力だけでは乗り越えられない壁というものがある。時間と体力の限界というものがある。
 編集者の人たちは私に書かせるのが仕事である。
 そして私は依頼にこたえて書くのが仕事である。
 しかし私にはもう一つ重要な仕事があって、それは「書かない」ということである。書かない仕事は決して非生産的な仕事ではない。書かないことによって、書く人も売る人も読む人もつまらない思いをする悲劇を避けることができるとすれば、ひょっとすると書かないという仕事は書く仕事よりも重要であるのかもしれない。そういうことを最近になってようやく学んできた。
 書く人が満足する、売る人が満足する、読む人が満足する。そこを目指して工夫する努力を怠ったとしたら、私の書く文章のどこに価値があるのか。
 今回の「特集」で新しい小説を始めるはずだったのだけれども、いくらなんでも新聞の連載を終えたあと間髪を入れずにペンギンを書いて、ペンギンが終わる頃には他の新連載が始まらんとしていて、さらに別の連載も問答無用で継続中であるという状況下で、新たな連載を満足のいく形で始めることは私の手に余った。
 しかし、「せめていつかは連載を始めますという宣言だけはしてください」と言われたので、宣言だけはしておかなくてはいけない。次の連載は奈良と竹林と宇宙的悪女と片想いに関する吻語で、これはたいへん興味深く、本当に書き始めたいのはやまやまだけれども、というところで、すでに私の悪い癖が出ている。書きたくなってしまうのである。しかし私には大切な「書かない仕事」があるため、書きたくても書けない。
 いつの日か機が熟して、連載が始まるときには、読んでいただければ幸いである。
 次の連載は森見登美彦版「竹取物語」になる。 

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