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小説「ペンギン・ハイウェイ」の舞台のモデル 

      この文中、(P.  )とあるのは、「ペンギン・ハイウェイ」(角川文庫版)のページを示します。文中で「この住宅地」とあるのは、生駒市北部にある「北大和住宅地」のことです。(その地に住む者にとっては「当たり前のもの」が、実は「有難いもの」であると再評価することの大切さを認識するために、この文章を作成しました。)

      ・小説「ペンギン・ハイウェイ」の 主舞台(Google Earth)

      ☆このページの記事と生駒検定<問22>小説「ペンギン・ハイウェイ」の解説を基に「小説『ペンギン・ハイウェイ』舞台探訪」ガイドブック.pdfを作成しました。

「野生時代」(2010.7月号)「このページ.jpgと森見登美彦氏の講演(13.3.16/生駒図書会館)での発言(このページのコメント欄に記載あり)でモデルだと確認できたもの、確認できるもの

(1)「ぼくの家のある一角はバス路線の終着駅のそばで、駅から広がってきた新しい街の最前線にあたる。」(P.6)⇒⇒「駅」は、近鉄奈良線学園前駅(写真)のことで、この「終着駅」のモデルは、学園前駅を始発とする奈良交通バスの「北大和5丁目」停留場(舞台探訪1いぐいぐブログ - 2さんのページに停留場看板の写真あり)です。88(S63)年に、学園前駅 ー真弓一丁目間のバス路線が北大和五丁目まで延長されました。(「新しい街の最前線」だった頃のこの住宅地.jpg/バス路線は生駒市北部地図.jpgご参照)

 ○「京阪奈新線」の仮称で建設されていた、近鉄奈良線生駒駅から学研奈良登美ヶ丘駅までの鉄道(近鉄けいはんな線)の開業<06(H18)年3月27日/ご参照>に伴いバス路線が拡張されると、「北大和5丁目」バス停は途中駅となり、残念ながら?!終着駅ではなくなりました(生駒市北部地図.jpgご参照)。

(2)(1)の続き「規則正しく区切られた街には、まだ家が建っていない空き地がいくつもある。風が吹き渡ると、正方形の空き地に生えた草がなびいて、ぼくはそれを見るたびになんとなくサバンナみたいだと思う。」(P.6~7)⇒⇒北大和住宅地(この記事では「この住宅地」と表現しています)がモデル(サバンナみたいだった頃のこの住宅地.jpg

 ①手持ちの資料によれば、11(H23)年4月1日現在の北大和自治会の自治会世帯数は1132世帯。この住宅地の計画戸数は1330戸、計画人口は5320人。ほぼ全世帯が自治会に入会し、空き家もさほど多くないことを考慮すると、この時点<11(H23)年4月1日>で、まだ百数十の空き地がありました。この住宅地に入居が開始された88(S63)年12月からこの時点まで約22年間、毎年平均で約50戸が建てられ入居があったことになります。なお、88(S63)年11月に109戸が一斉販売され翌月の88(S63)年12月に一斉入居がおこなわれたのが、この住宅地の街開きでした(このとき、登美彦さんは9歳11ヶ月)。

 ②登美彦さんは、「野生時代」(2010.7月号)のロングインタビューの中で「9歳の時<引用者:88(S63).1.6~89(S64).1.5>に家族で奈良県の郊外に引っ越したんです」と述べています。また、ジブリの教科書12 千と千尋の神隠し」の中では「私が大阪から奈良へ引っ越してきたのは、小学四年生<引用者:88(S63).4~89(S64).3>の夏だった」と述べています。登美彦さんが奈良へ引っ越してきたのは「ぼく」と同じ4年生の88(S63)年の夏でした。この時、この住宅地は、4~5ヵ月後に街開きを控えたばかりで、まだ草の生えた空き地が見晴らす限り広がっていました。なお、登美彦さんが奈良へ引っ越してきたのはこの住宅地の街開き前であったことでわかるように、登美彦さんが引っ越してきたのは、「ぼくが7歳と九ヶ月の時」(P.7)に「県境の向こうにある街から引っ越してきた」(P.7)この住宅地ではありません。

(3)「ケヤキ並木に沿って歩いていく」(P.9)⇒⇒この住宅地内のケヤキ並木(「いぐいぐブログ - 2 さんのページに写真あり)

 〇この住宅地には、バス道路が2つあります(市道押熊真弓線/市道真弓芝線)。バス道路にはもちろん歩道が付いていますが、バス道路ではないが歩道が付いている道路が3つあります(北大和1号線/同2号線/同3号線)。北大和3号線は東西に走り、街路樹はありません。北大和1・2号線にはケヤキの街路樹があります。これがケヤキ並木です。この住宅地を造った大林組がこのまちに最も相応しい街路樹にケヤキを選びました。しかし、現市長は17年3月、生駒市の街路樹は(ケヤキから)落葉の少ない樹種に取り替えていくと表明しました(それでいいのだろうか)。北大和1号線は住宅地の中央部を、同2号線は住宅地の東部を、それぞれ南北に走っています(生駒市北部地図.jpgご参照)。

(4)「給水塔」(初出 P.10)「給水塔と大きなタンク」 (P.31)⇒⇒「大きなタンク」とは、生駒市の真弓配水場の配水池<73(S48)年設置>のことで、「給水塔」とは、それに連結された高架水槽(正式名称は調整池)<76(S51)年設置>のことです(真弓配水場の航空写真.jpg)。

 ①高架水槽は、舞台探訪2「野生時代」(2010.7月号)このページ.jpgに北側から撮った写真、いぐいぐブログ - 2 さんこのページに南側から撮った写真ミラー.jpgがあります。

 ②高架水槽は、当時開発された鹿ノ台住宅地(生駒市北部地図.jpgご参照)に水を送るために設置されましたが、真弓浄水場<85(S60)年開設>(生駒市北部地図.jpgご参照)に鹿ノ台への送水ポンプが05(H17)年度に設置されるに伴い不要となり、13(H25)年度に撤去されてしまい、「地球脱出船にみたいに見える」(P.31)高架水槽は、跡地を残して残念ながら今はもう見ることはできません。

 ③配水池・高架水槽は自然流下によって配水するため、住宅地より高い場所に設置されます。そのため、真弓配水場は山田川・淀川水系と富雄川・大和川水系の分水嶺にあります。ここは生駒・奈良両市の境にあり(跡地の航空写真.jpgご参照)、ごく近くには、奈良市の配水池が3つもあります(いずれも高架水槽は付いていない)。なお、生駒市には、他に天野川・淀川水系と竜田(龍田)川・大和川水系もあります(生駒検定<問20>の地図ご参照)。

(5)「給水塔のある丘に続くコンクリートの階段」(P.31)⇒⇒実際は、「給水塔の傍にある丘に続くコンクリートの階段」<舞台探訪3この写真.jpg自然を楽しむさんのHPより引用させていただき」加筆)ご参照/ストリートビュー

 〇「給水塔のある丘」(実際は、給水塔の傍にある丘)とは、真弓塚のことです(舞台探訪4)。「コンクリートの階段」を上りきったところ(「野生時代」(2010.7月号)このページ.jpgの右下の写真はここで撮影されたもの)から北東に20mほど離れたところに真弓塚の碑が建てられています。民俗学・地名学の第1人者の故谷川健一さんは、「真弓塚・・・・・は大和、河内、山城の境目にあり、河内からはじめて大和平野に進出した物部一族がこの真弓塚にのぼって日神ひのかみニギハヤヒを祀ったと想像していっこうに差し支えないところである。いま背後は樹林に蔽われているが、その樹林がないとすれば、三百六十度の視野をもつ円丘が真弓塚である。それはあたかも円墳のごとく、平野の中に孤立した小丘で、高さは二〇〇メートルに足りないが、大和平野を一望のもとに納め得る。物部一族は、真弓塚の天頂に太陽がかがやくとき、日神ニギハヤヒが彼らの前に現れるような気持ちを抱いたであろう。」(真弓塚より引用)と述べています。登美彦さんが、この丘からの眺めを一望して感動したのもむべなるかなです。

(6)「丘の周辺にはまだ開発されていない森が広がっている・・・・・給水塔の後ろは奥深い森である」(P.31)⇒⇒のちに「ぼくは〈ジャバウォックの森〉という名前をつけた)」P.118)森(舞台探訪5主舞台地図.jpgご参照/Google Earth

(7)「ぼくは丘から見渡せる街の様子をノートに記録することにした」(P.32)⇒⇒「丘」からの眺望の良さは(5)-〇の通りです。

(8)「給水塔の裏から、森をぐねぐねと抜けていく小道は、・・・・・ふいにまた折れ曲がって、スタンドのある大きな市営グラウンドのネット裏をのびていた。」(P.33~34)⇒⇒「市営グラウンド」は北大和スポーツ施設のグラウンド・野球場舞台探訪6)。その東側フェンス沿いの山道が「小道」(舞台探訪7)。なお、「小道」は、(5)の階段(南の階段)と(10)の階段(北の階段)を結んでいます。「野生時代」(2010.7月号)このページ.jpgの左上に、(10)の階段から(5)の階段に向かって「小道」を進む登美彦さんの写真があります。いぐいぐブログ - 2さんのページには、その写真とは逆に、(5)の階段側から(10)の階段方向に向かって撮った「小道」の写真があります。

 ①「野生時代」(2010.7月号)このページ.jpgで登美彦さんは、「(『ペンギン・ハイウェイ』の舞台となった)自分が育った町を歩いたときには、なんともいえない不思議な気分になりました。子どもの頃のように市民球場に沿った細道を通って丘の上に立ったときは感動しましたね。その道がまだあるっていうのがうれしかったですし、丘から町を見下ろすと、昔自分が好きだった景色が広がっている。ああこれだった、って久しぶりに帰ってきた感じがしました。」と述べています。

 ②実は、登美彦さんが「まだあるっていうのがうれしかった」と述べた「市民球場に沿った細道」が「市民球場」と共に消滅する危機にあります。それをもたらそうとしているのが北大和グラウンド低炭素まちづくり計画です。これは、市営の北大和スポーツ施設(グラウンド・野球場・体育館)のうち、グラウンド・野球場の土地を民間事業者に売却し、ここを市街化区域(現在は市街化調整区域)に変更した上で、ここに低炭素住宅地を建設しようという計画です。

 この計画は、「ジャバウォックの森」のモデルとなった森(すでに市街化区域に編入され第1種中高層住居専用地域<その例>となっている/生駒都市計ご参照)のマンション建設計画と、その東側(奈良市)の第1種中高層住居専用地域(奈良市都市計画ご参照)におけるマンション建設計画と一体となって行われる予定でしたが、15(H27)年12月、県が市に対し、北大和グラウンド・野球場の市街化区域への変更を認めないと通知したため、停止しています。そして、16(H28)年4月の熊本地震において、災害時には避難できる場所を確保するための広い空間が必要ということが再認識され、また、熊本地震では強い地震は火を使用しない時間に起こったので火災はあまり起きなかったが、広い空間は延焼火災時の避難場所としても是非必要ということも認識される中、避難所である北大和体育館に隣接する北大和グラウンド・野球場を住宅用地として売却する方針は、災害にかかる市民の安全・安心を確保する観点から見直すべきいう意見が出されています(そのほうが賢明です)。

(9)(8)の続き「・・・・・やがて草の生いしげった平坦な荒地へ出た。高圧鉄塔が抜けるように青い空へそびえている。荒地の東は森に面している。」(P.35)⇒⇒生駒市北部地図.jpgで示した位置にあった高圧鉄塔がモデル。●で示した位置にも高圧鉄塔があり、それらを高圧電線が結んでいましたが、で示した位置にあった高圧鉄塔は2006年7月に撤去され、その西側に並んでいた、●で示した位置にあった3基のそれも同年11~12月に撤去され、今は高圧鉄塔跡地だけが残っています(舞台探訪8)。

(10)(9)の続き「草をかき分けて北側へ行ってみると、コンクリートで舗装された急斜面になっていて、長い階段が下へのびている。眼下には二車線道路があって、」(P.35)⇒⇒「長い階段」は、北大和スポーツ施設北側を走る「二車線道路」(市道押熊真弓線/舞台探訪9)の向こう側にある市営駐車場から北大和スポーツ施設に行けるようにと設置された階段(舞台探訪10ストリートビューいぐいぐブログ - 2さんのページに写真あり)

(11)(10)の続き「その道を渡った向こうにはバスが方向転換する広場がある。そこがバス路線の終着駅で、つまりぼくらの街の果てだ」(P.35)⇒⇒実際は、「その道を渡った向こうにはバスが方向転換する広場がある。そこは、バス路線の終着駅である“北大和5丁目”バス停の少し東に行ったところにあり、つまりぼくらの街の果てだ」。「バスが方向転換する広場」とは、北大和地区計画でいう「地区施設(バス回転広場)」のこと(舞台探訪11)。

 ①このバス回転広場は、「北大和5丁目」バス停が、学園前駅を始発とする奈良交通バス路線の終着駅であったときには、バスがUターンできる空間として使用されていました。

 ②しかし、(1)-〇で述べたように、「新しい鉄道」(P.100)の開業<06(H18)年3月27日>に伴いバス路線が拡張されると、「北大和5丁目」バス停は途中駅となり、終着駅ではなくなりました(生駒市北部地図.jpgご参照)。そのため、このバス回転広場は使用目的がなくなりましたが、他用途への転換は北大和地区計画の変更を要するため行われることなく、今もなお「自動販売機がぽつんとあるだけ」(P.39)で、「ぼくらの街の果て」(P.35)、「ペンギン作る・・・・・実験場」(P.109~110)の面影を強く残しています(ストリートビュー)。

 ③「野生時代」(2010.7月号)このページ.jpgの右上に「自動販売機」の前でコーラの缶を投げるふりをする登美彦さんの写真があります。

(12)「ぼくはアスファルト道路の向かいにあるバスターミナルへ連行された。バスターミナルと言っても・・・・・隅に小さなプレハブの待合室と、コーラの自動販売機がぽつんとあるだけである。」(P.39)⇒⇒実際は「ぼくはアスファルト道路の向かいにあるバスが方向転換する広場へ連行された。そこは、待合室をもたないバス路線の終着駅から少しいった先にあり、コーラの自動販売機がぽつんとあるだけである。」(舞台探訪1舞台探訪11ストリートビュー

(13)「バスターミナルの裏にある森」(P.39)⇒⇒かつては、オオタカが生息していた森(舞台探訪12

 ①「新しい鉄道」の建設に伴い、「バスターミナル」(実際は「バス回転広場」)の裏にあった森は消滅し、登美ヶ丘車庫(バス回転広場のやや北から撮影された動画)となりました。 登美ヶ丘車庫ができる前、「バスターミナルの裏」には深々とした森がありました(まち開き間もない頃の北大和住宅地.jpgご参照)。

 ②登美ヶ丘車庫の西端は生駒市ですが、そこより東側は奈良市二名町にみょうちょうでした。登美ヶ丘車庫の東端から約300mにある、生駒市北部地図.jpgで示された鉄塔の近くのアカマツの木にオオタカの営巣地が見つかりました(このタカは「二名町のオオタカ」と呼ばれていました)。そのため、「京阪奈新線予定地にかかわるオオタカ等の保護に関する請願書」が00(H12)年8月に、奈良県・新線建設主体の生駒高速鉄道・生駒市・奈良市に提出されました(報道記事.pdf)が、結局、二名町のオオタカは生息域を確保できずにこの地を去りました。

 ③03(H15)年4月に学研高山地区第2工区(「第2工区」と略す/この地図.jpgご参照)内でオオタカの営巣が確認されました(このタカは二名町のタカが移動してきたといわれました)。これを踏まえて、同9月に「第二工区内におけるオオタカの営巣地保全に関する要望書」が県と都市基盤整備公団(現UR)に提出されました(報道記事.pdf報道記事.pdf)。これを受けて同12月、生駒市はオオタカ調査を実施すると発表。これにより、オオタカ調査が終了するまで、第2工区の開発(土地区画整理事業の施行手続き・道路建設)は停止することとなった。そして、開発が停止している期間に、開発(自然環境破壊・財政破綻をもたらす大規模ニュータウン建設)に反対する意見が広まり、05(H17)年10月に、調査結果を踏まえてとりまとめられた「高山地区におけるオオタカ保全と開発との共生方法に関する提言」が開発主体の都市再生機構に提出されたものの、06(H18)年1月、開発反対派が市長選に勝利して第2工区の開発は頓挫しました。「バスターミナルの裏にある森」(P.39)を追われた二名町のオオタカが、第2工区、つまり生駒市北部に広がる里山を守ったのでした。

 ④オオタカのお腹は白く、至近距離で飛んでいるところを見上げてみると、まるでペンギンが飛んでいるように見えることがあります(こんな感じ)。なお、ペンギンが空を飛んだらこんな感じ.jpgになります。ひょっとしたら、登美彦さんは、「バス回転広場」の裏にあった森から飛び立ってきたオオタカを至近距離でみたことがあって、「ペンギンたちは・・・・・よちよち歩きながらバスターミナルの裏にある森へ入っていく。」(P.114)とあるように、森の出入りがペンギン・ハイウェイという発想を得られたのではないだろうか、と考えるのは穿うがち過ぎでしょうか。

(14)「ヒバリがかわいく鳴きながら、空高く上っていく。」(P.40)⇒⇒この住宅地に空き地が多かったときは、この光景は普通に見られました(「ヒバリ」が沢山住んでいた頃のこの住宅地.jpgご参照)。

(15)「お姉さんは怒って歩き出した。ぼくが実験道具をリュックにつめこんでいる間に、彼女は市営グラウンドの裏のほうへのぼる階段をずんずん上っていく。ぼくがあわてて車道を渡ろうとすると、彼女はあたりに響く大きな声で「指さし確認!」と叫んだ。ぼくは魔法にかけられたみたいに立ち止まった。ぼくが指差し確認をして車道をわたると、彼女はもう階段の上の方にいた。長いコンクリートの階段を上りきったところは市営グラウンドの裏で、植物の生いしげった荒れ地が広がっている。ぼくとウチダ君がスズキ帝国と立派に戦ったところだ。荒れ地の中には高圧鉄塔がそびえている。荒れ地に接するようにして、薄暗い森がある。給水塔のある丘から広がっている深い森だ。この森を探検するのは危険だから、さすがのぼくとウチダ君もまだ地図を作れないままである。・・・・・『ここは空き地でしょう?』お姉さんがまわりを見ながら言った。『何を造るのかな?』『新しい駅かも知れません』」(P.67~69)

⇒⇒「市営グラウンド」は北大和グラウンド・北大和野球場舞台探訪6)。「階段」は(10)の階段(舞台探訪10)。「車道」は(10)の「二車線道路」の市道押熊真弓線(舞台探訪9)。「高圧鉄塔」は(9)の高圧鉄塔(その跡地が舞台探訪8)

⇒⇒「給水塔のある丘から」「高圧鉄塔がそびえている」「荒れ地」にまで「広がっている深い森」が、のちに「ぼくは〈ジャバウォックの森〉という名前をつけた)」P.118)森です(舞台探訪5)。

⇒⇒実際はここには、「新しい駅」を「造る」ことができるような大きな空き地はなく、小さな荒れ地しかありません。

(16)「今年になって、ぼくは新しい鉄道の話を聞いた。県境の山の向こうから鉄道がのびてきて、ぼくらの街に新しい駅ができるそうだ。まだ計画段階だからいつ完成するのかは分からないと父は言った。」(P.100)⇒⇒(1)-〇で述べた鉄道(近鉄けいはんな線)のこと(ご参考:生駒市とその周辺の路線図)。

 ①「ぼく」と登美彦氏が同い年だとすると、「ぼくは新しい鉄道の話を聞いた」のは88(S63)年4月から89(H元)年3月のことなので、「新しい鉄道」が完成するのは、それより16~17年後ということになります。

 ②「新しい鉄道」が開通して、この住宅地の最寄駅の学研北生駒駅からは乗り換えなしで、大阪湾岸(大阪ベイエリア)方面に行けるようになりました。「鉄道が来たら『海辺のカフェ』が本当の海辺のカフェになります」(P.69)や「鉄道がやってくれば、この街は海辺の街になり、そのカフェは海辺のカフェになるのだ」(P.101)ということが実現したのです。

(17)「近所にある洋菓子店」(P.122)⇒⇒ゲベック

(18)「左手には市営グラウンドのフェンスが続いて、右手にはぼくがジャバウォックの森と命名した深い森が広がっている。」(P.126~127)⇒⇒「市営グラウンド」は舞台探訪6。「ジャバウォックの森」は舞台探訪5。「市営グラウンドのフェンス」と「ジャバウォックの森」の間を縫う山道が舞台探訪7

(19)「ぼくらの街には大学があって、・・・・・その大学はぼくらがこの街に引っ越してきた頃にできたばかりの大学なので、まるで未来都市みたいな新しい建物がならんでいるそうだ。」(P.150)⇒⇒奈良先端科学技術大学院大学93(H 5)年4月に開講(法律上の開学は91年10月)>(写真生駒市北部地図.jpgご参照)  登美彦さんのブログに<『ペンギン・ハイウェイ』には一つの大学が登場する。・・・・・これは「奈良先端科学技術大学院大学」という大学をイメージしている。>とあります。

(20)「市営グラウンドの北にある水路・・・・・はバス通りの下をくぐるために十メートルほど暗渠になっていて、『トンネルくぐり』というスズキ君帝国の有名な刑罰に使われていた。・・・・・ぼくは一度、自主的に探検したことがある」(P.234~235)⇒⇒実際は、「市営グラウンドの西側に沿って走る水路は、市営グラウンドの北西角でバス通りの下をくぐり暗渠となっている」(舞台探訪13/位置写真.jpgストリートビュー

 ①この水路は、宅地造成前に渓流だったところに、土にしみ込まない雨水を集めて山田川に流すために設置されました。

 ②結構急な水路であり、雨天で水が流れていたとき何らかのはずみで落ちれば流され、バス通りの下の暗渠に吸い込まれたのち、そのまま更に下流に奈落に落ちていくように山田川方面に向かって流されていけば命にかかわる危険がありました。そこで自治会は市に、人が流されても暗渠の入り口で止まるように、そこに頑丈な鉄製の格子を設置させました。これは上げ下げできるものですが、子どもの力ではなかなか持ち上げは難しい。これが設置されたのは93(H5)年ごろですが、子どもたちが暗渠に入っていたことは、当時の自治会は知りませんでしたので、この小説の中での創作のように思いますが…?!(大人が知らなかっただけ?)。この暗渠は、水が流れていなくても入ることは大人でも恐ろしい(入ったことはありませんが多分)。なお、鉄製の格子は現在は、鍵の付いた鎖で固定されていて勝手に上げ下げできないようになっています。

(21)「市バス」(P.248・299)⇒⇒実際は、奈良交通バス

】作品の記述から、モデルが推察できるもの、モデルがあるとすればこれだといえるもの

(1) 「海辺のカフェ」(初出 P.5)⇒⇒サンマルク(いぐいぐブログ - 2 さんのページに写真あります)/このベーカリーレストランは、この住宅地の隣まち(上町かみまち)にあります。

 ○ 「海辺のカフェ」(初出 P.5)⇒⇒以前に真弓2丁目バス停前にあったケーキ&カフェのマダムエイジェイではないかとの指摘も受けました。

(2)「ショッピングセンター」(P.7)⇒⇒?

(3)「宇宙ステーションみたいな歯科医院」(P.7)⇒⇒94(H6)~95(H7)年ごろ発行の地図では山本歯科医院となっています。現在は、ともだ歯科医院(いぐいぐブログ - 2 さんのページに写真掲載されています)

 〇この医院は、この住宅地の隣まち(真弓)にあります。なお、この住宅地に歯科医院が開院したのは02(H14)~03(H15)年ごろです。

(4)「小学校まで通う。時間はおよそ二十二分かかる。」(P.8)⇒⇒生駒市立真弓小学校

(4)「カモノハシ公園」(P.9)⇒⇒四季の森公園真弓中央公園

(5)「カモノハシ公園のとなりにある小さな教会」(P.29)⇒⇒四季の森公園の近くにある教会がモデルかなと考えましたが、この教会は、94(H6)~95(H7)年ごろ発行の地図には未記載なので違うようです。

 〇四季の森公園は池はありません。真弓中央公園は近くに教会はないが、大きな池がありアヒルとアイガモがいます。「カモノハシ公園」がいずれの公園をモデルとしているかは迷いますが、「カモノハシ公園には・・・・・運動器具が置いてある。」(P.63)ということで、やはり運動器具が設置されている四季の森公園なのでしょうか。

(6)「学校のとなりに広がる草地・・・・・『ここは幼稚園を造る予定だったんだって』『でも、空き地のままだね』『中止になったのかな。それとも他のものを造るのかな』」(P.55~56)⇒⇒生駒市立真弓小学校の南隣の市立幼稚園建設予定だった空き地。市が、園児数の推移と3歳児保育の希望者の動向などを見極めながら検討を進めた結果、既存の施設の改修などで対応が可能なため幼稚園の新設は不要と判断して、この空き地を、市民に花と緑を育てる楽しみを知っていただく施設建設用地に転用活用することとし、01(H13)年度に花のまちづくりセンターふろーらむを開設しました(生駒市北部地図.jpgご参照)。

(7-1)「電車は二つの駅に停まってから、県境の山を抜けるトンネルに入った。暗いトンネルは大変長い・・・・・ぼくらは次の駅で降りた。そこは一度もおりたことがない中州型の駅だ。」(P.104~105)⇒⇒「ぼくら」が乗り込んだ「電車」は近鉄奈良線。乗り込んだ駅は、学園前駅。「県境の山」は生駒山。「トンネル」は新生駒トンネル。「二つの駅」(実際は「三つの駅」)とは、富雄駅・東生駒駅・生駒駅、「次の駅」とは石切駅。

 ○学園前駅から大阪方面に行く場合は、通常、富雄駅・東生駒駅・生駒駅・石切駅に停車する準急や普通には乗らず、富雄駅・東生駒駅は通過し、生駒駅に停車したあとは、大阪市内の鶴橋駅までノンストップの快速急行に乗ります。準急に乗る場合は座って行きたいときに限られます。この小説では、準急に乗ったことになっている(普通はあまりに時間がかかり過ぎるので乗ったと考えにくい)のは、途中下車を余儀なくされたという舞台設定上、快速急行(学園前駅から生駒駅まで7分ノンストップ/生駒駅から鶴橋駅まで14分ノンストップ)より準急の方がよかったからでしょう。または、「ぼくら」はのんびり座って行きたかったためと思われます。

(7-2)「電車は二つの駅に停まってから、県境の山を抜けるトンネルに入った。暗いトンネルは大変長い・・・・・ぼくらは次の駅で降りた。そこは一度もおりたことがない中州型の駅だ。」(P.104~105)⇒⇒「ぼくら」が乗り込んだ「電車」は近鉄奈良線。乗り込んだ駅は、富雄駅。「県境の山」は生駒山。「トンネル」は新生駒トンネル。「二つの駅」とは、東生駒駅・生駒駅、「次の駅」とは石切駅。

 ○この住宅地の隣まち(真弓)と富雄駅(学園前駅の西隣駅)を結ぶバス路線が、この小説が描く時期にはまだありました(現在は廃止されています)。従って、当時、この住宅地や真弓から大阪方面へ行くためには、近鉄奈良線の学園前駅と富雄駅のいずれに乗るかという2つ方法があったのですが、なぜか、「ぼくら」は、後者を選んだようです。

(8)「ぼくが散髪する店は・・・・・道路に面した壁がすべてガラスの変わった建物」(P.136)⇒⇒ワイズ登美ヶ丘店ストリートビュー)<「ペンギン・ハイウェイ」が書かれたころには、まだこの店はなかったのでは、という指摘を受けましたので、次のように訂正いたします。>

       ⇒⇒メンズカットハウスRENON<真弓4丁目バス停前>ストリートビュー

(9)「霧にしずんだ道路の向こうから、大きなシャトルバスがゆっくり走ってきた。ぼくらの街の果てにあるバス停に、空港へ行くバスが走ってくることをぼくは不思議に思った。いつの日かこんなふうにバスに乗って、宇宙へ出発する日がくるとしたらすてきなことがと考えた。」(P.309)⇒⇒「ぼくらの街の果てにあるバス停」とは、当時終着駅であった北大和5丁目バス停。「大きなシャトルバス」「空港へ行くバス」とは、関西国際空港リムジンバス。生駒市北部・奈良市西部と関西国際空港(関空)とを結ぶ奈良交通リムジンバスの路線は次のように変遷してきました(十分には調べることなく主に記憶に頼って記しましたので確実なものではありません。)。

 ①同リムジンバス開業当初は、奈良交通北大和営業所車庫(生駒市北部地図.jpgご参照)を出てバス回転広場に移動、そこでUターンして北大和5丁目バス停に移動、そこを始発にして、北大和1丁目・近鉄学園前駅を経由して関空へ。

 ②けいはんなプラザGoogle Earth)開業<93(H5)>奈良交通北大和営業所車庫を出てけいはんなプラザに移動、そこを始発にして、近鉄学園前駅を経由して関空へ。一部は、奈良交通北大和営業所車庫前の北大和1丁目バス停を始発にして、けいはんなプラザ・近鉄学園前駅を経由して関空へ(北大和5丁目バス停は始発駅でなくなった)。

 ③「新しい鉄道」の開業<06(H18).3>→けいはんなプラザ近鉄学園前駅間で学研奈良登美が丘駅に停車することになった。

 ④同リムジンバスの運行が北大和営業所から奈良交通奈良営業所に移管された<10(H22).3月>北大和1丁目バス停ーけいはんなプラザ間のリムジンバス路線は廃止→リムジンバスは、残念ながらついにこの住宅地を出発地にすることはなくなりました。

*追記:17(H29)年5月7日、近鉄学園前駅北口奈良交通バス停の関空リムジンバスについてお知らせする立て看板に「2017年1月28日より、東登美ヶ丘6丁目東駅廃止、学研奈良登美ヶ丘駅新設」と記載されているのに気づいたが、③(学研奈良登美が丘駅に停車することになった)は2017年1月28日からのことだったのか疑問が湧いている。

モデルになったのではないかと思われるもの

(1)「給水塔のそばにある白いマンション」(P.10)⇒⇒真弓配水場のそばにはマンションはありませんが、小さなマンションかと見間違えそうになる大きな住宅があります(白くはありません)。

(2)「市立図書館」(P.23)⇒⇒生駒市図書館かとも考えましたが、生駒市立図書館の謎(森見登美彦氏の蔵書検索結果)ミラーを見ると違うような気がします(bearing)。

(3)「学校のとなりに広がる草地には、水路がある・・・・・ぼくらが探検する水路は、東から西へ流れている。コンクリートで固められた水路の幅は約一メートルだ。水はぼくらの胸ぐらいある。」(P.55~56)⇒⇒かつて「学校のとなりに広がる草地」であった花のまちづくりセンターふろーらむの東から東南の隣地は長弓寺の境内で、その南端部分を「東から西へ流れ、幅は約一メートルで、水は晴れている日は底の方にしかない」水路があります。この水路は、真弓配水場のある分水嶺の方向に向かって遡上していますが、途中で途絶えています。

(4)「国道だ。水路はその国道の下のトンネルをくぐって、向こう側へ抜けている。トンネルは真っ暗だったのでぼくらは用心してくぐったけれど、ちゃんと歩行者用の道が続いていたので安心だった。」(P.79~80)⇒⇒「国道」は国道163号。この住宅地から国道163号の向かい側の鹿畑町に抜ける車1台が通行できるほどの水路に沿った道があり、この道は国道163号に突き当たると、その下をくぐって鹿畑町に入ります(このHatena Blogさんのページに写真掲載されています<「163号線をくぐる高さは180cmです」との表題の写真>)。

(5)「気がつくと、ぼくらはもう深い森を抜けて、広々とした青空の下に出ていた・・・・・草原だった・・・・・その草原はまわりを森に囲まれている。ジャバウォックの森の奥にある忘れられた土地なのだ。」(P.129)⇒⇒航空写真(=主舞台地図.jpg)で見ると、「ジャバウォックの森」の東側に草原のような荒地を囲む森があります。ここは行政区は奈良市ということもあって生駒市側の地元の人間も入ることはもちろんどんなところか知らない土地です。なお、その草原のような荒地を囲む森の一角に94(H6)~95(H7)年以降に生駒市側の地元の人が知らない間に、森が開かれて奈良市の配水池が建造されました。それに伴い、市道押熊真弓線から配水池までの未舗装一車線道路もつくられました。この道路は閉鎖され、配水池及び草原のような荒地を囲む森の周りは上部に複数の有刺鉄線が走るフェンスで囲まれており、「ジャバウォックの森」の東側一帯は現在も「暗黒(分からない、の意)」ゾーンとなっていますが、都市計画上は、【1】-(8)-②で述べたように、第1種中高層住居専用地域となっています。

【*】森見登美彦さんは、「ペンギン・ハイウェイ」と「千と千尋の神隠し」の舞台の共通点をこのように.pdf述べています。  「ペンギン・ハイウェイ」や「千と千尋の神隠し」の舞台となったのはこんなところ

【*】この物語の舞台である、「駅から広がってきた新しい街」にある、「給水塔」、「丘に続くコンクリートの階段」、「長い階段」、その二つの階段を結ぶ「市営グラウンド」に沿った「小道」の東側に広がる「ジャバウォックの森」、「高圧鉄塔」、「二車線道路」、「ぼくらの街の果て」にして「ペンギン作る」「実験場」である「バスが方向転換する広場」、「バスターミナルの裏にある森」、「『トンネルくぐり』というスズキ君帝国の有名な刑罰に使われていた」「暗渠」等を実際に探訪する(歩いて=冒険して訪れる)ことで、ペンギン・ハイウェイワールドを体感でき、“当たり前”のまちが、実は「ペンギン・ハイウェイ」というファンタスティックな物語を生み出すほどの、少年少女のみずみずしい感性を育む“有難い”まちであることを再発見することができるでしょう(舞台探訪順路.jpg)。

【*】「ペンギン・ハイウェイ」の舞台となった町での不思議体験

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