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日大アメフト悪質タックル事件

       (この文は、2018年5月20日時点での情報に基づいて書かれたものです。)

 日大アメフト悪質タックル事件について、2つの疑問がある。①あれほどの危険・悪質な(重大な身体破壊をもたらす)反則を犯した選手が即退場とならずにその後2回も反則を犯さねば退場とならなかったのはなぜか。②自己チームの選手が刑事罰に相当するような重大な身体破壊をもたらす行為の被害を受けたのに、なぜ関学チームは即試合中止をし、即抗議をせず、事件のあった試合(2018年5月6日)からやっと4日後(5月10日)になって抗議文を送ったのはなぜか。

 この2つの疑問に対する答は、多分、 「アメフトは激しい肉弾戦だから、少々のラフプレーは許される、もしくは、止む得ない。しかし、そこはスポーツだから無制限というわけにはできないから、2回までのラフプレーは許すというルールになっているから」。

 ではなぜ、今回関学は試合後に抗議したのか。今回のラフプレーは、あまりにも度が過ぎたから。稚拙だったと言い換えることもできる。プロボクシングの試合では、勝つために、審判にわからないように相手にダメージを与える反則パンチを巧妙に繰り出すことはよくあると聞く。大学のアメフトも(これに限らず、スポーツ推薦で選手を全国から集める大学のクラブはみな)大学の広告塔(=プロ集団)という要素を持つので、勝つためにはラフプレーも許されるが、度を過ぎないように(=うまく)やらねばならないのである。

 「大学の広告塔という要素を持つアメフトは勝って何ぼ。勝つためにはラフプレーも許される。」これは、広告塔という要素を持つすべてのチームの監督・選手の共通認識。ただ、ラフプレーがどこまで許されるかは各チームで温度差がある。また、ラフプレーの加害チームと被害チームでも温度差が出る。

 日大はラフプレーが許されると感じる範囲が広い。だから、試合後に関学が抗議することになるラフプレーの重大さが分らない。それは、次の3つの疑問に対する答となる。①退場となった選手がベンチに戻ってきたとき、監督も選手も彼を注意するどころかねぎらったのはなぜか。②監督は抗議されてもなかなか謝罪しなかったのはなぜか。③この事件が盛んに報道されている最中に開催された日大理事会では、この問題について話がでなかったのはなぜか。

 ことの真相は、つぎのように単純なものだったと思われる。

 何らかの理由で何日か休部するなどして、このままだったら干されてしまうと焦っていた選手が、監督から「(干されたくなかったら、相手を打ち負かすように)やってこい」という趣旨のことをいわれたので、2回までだったらラフプレーも許されるだろうという環境の中で、相手チームの重要選手にダメージを与えることが勝てることにつながり、それで監督のご機嫌をとれるだろうと考えて、相手チームの重要選手にラフプレーを仕掛けた。しかし、そのプレーが相手チームから抗議を受けるとは、加害選手も加害監督も思ってもみなかった。被害選手のチームの監督も当該のラフプレーがなされた当座は即抗議すべき重大なものとの認識がなく、試合終了後にその重大さに、誰かから指摘されるなどして気づいた。日大が所属する関東学生連盟も、当該プレーが悪質だとの認識がなく、それがネットで炎上するなど騒ぎになるまで無反応だった。

 以上から、今回の事件の根本原因は、学びの場であるはずの大学の部が勝って何ぼのプロ集団化し、勝たなければ失業したり地位を失う等する職業監督がプロ集団化した部を率い、選手に対する絶対的な支配権(生殺与奪権)を持っているという、およそ学びの場ではあってはならない体制が存在していた(※)こと、といえるだろう。

  (※)<追記(18.5.24)>ご参照.pdf監督はコーチに対しても絶対的支配権.pdf

  (※)<追記(18.5.24)>本日発売の週刊文春によれば、日大アメフト監督は、日大相撲部出身の、日本の二大裏社会組織のトップとも接点のある日大理事長とツートップで日大全体の強権支配をおこなってきたとのことで、今回のようなラフプレーは普通のことであったようである。

  (※)追記<18.5.25>日大監督が、相手チームの選手を試合に出られないよう負傷させろという「指示」をしたか否か、つまり「言葉」で誘導したか否かが最大の焦点になっているが、絶対的な支配者は、「言葉」でなくても、ボディランゲージや指の動きや顔の表情変化や追い詰める雰囲気などでも命令(支配下の者を動かすこと)をすることができるので、あまり、「言葉」での命令があったか否かにこだわると、問題解決を遅らせてしまう。

          <追伸1(18.5.25)>

 加害選手は「戦士」にされていた。「戦士」とは「思考停止した(考えない・思わない・感じない)人間」のことである(この記事の青太字部分ご参照)。事件が起こった試合は加害選手にとって戦場となっていた。スポーツの試合を戦場と化したのは、基本的人権尊重意識のない日大アメフト部の監督とコーチであった。この事件を引き起こしたのもまた、体罰・いじめ・パワハラ・セクハラ等々と同様、基本的人権尊重意識の欠如であった。

 

          <追伸2(18.7.13)を書き直し(18.7.18)>

 「なぜ、オウム真理教信者はサリンを撒いたのか?」との問に対するは、「なぜ、あのような悪質なタックルが行われたのか?」との問に対する答(追伸2に記載のように、「加害選手は『戦士』にされていた」から)と同じ。

*するも

選手はなんらの理由

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