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生駒ふるさとミュージアムの生駒の歴史と文化に関する講演会等   

<この記事は、生駒検定<全国版><問26>生駒の歴史生駒の神話の参考記事です。>

生駒の歴史と文化入門講座

20(R 2). 3.21(新型コロナウイルス感染拡大防止のため、中止)<鷹山家文書調査報告書発刊記念講演会(於:生駒ふるさとミュージアム)>(「大和武士 鷹山家を語る」と題した講演会 )・・・奈良市興福院に伝わる「鷹山家文書」をもとに考察した、鷹山家の活動から戦国期の大和や生駒をはじめ諸国の様子が分かる報告書を発刊。発刊を記念し講演会を開きます。天理大学文学部歴史文化学科准教授の天野忠幸さんによる「大和を超えて活躍した武士・鷹山氏」・近畿大学文芸学部文化・歴史学科特任講師の新谷和之(しんやかずゆき)さんによる「鷹山弘頼と近江六角氏」(案内文より)

19(R 1). 7.21<講座>当館元館長 塩山則之氏「考古学から見た生駒谷ー生駒の遺跡からみえてくるものー」・・・ハック調査の成果をふまえて古代の生駒谷について学びます。 

19(R 1). 6.22<講演会>平群町教育委員会 葛本隆将(たかゆき)氏「中世竹林寺と律宗」・・・ 行基廟の開掘を契機とする竹林寺の発展や、共同墓地・輿山(こしやま)の形成、竹林寺僧のネットワークなど、鎌倉・室町時代の竹林寺を取り巻く世界について、律宗の活動に注目しながらお話しいただきました。(ミュージアムのフェイスブックより)

19(R 1). 6.22<講演会>当館指定管理者(株)地域文化財研究所 福永信雄所長「生駒山西麓の古墳と竹林寺古墳」・・・生駒にある古墳は、本来、竹林寺古墳だけではなかったと考えています。その理由と生駒山西麓と生駒の古墳の有様についてお話ししました。(ミュージアムのフェイスブックより)

19(H31). 3.  3<企画展講演会>近畿大学文芸学部教授 藤井弘章氏「山里に生きる-環境民俗学の視点からみた生駒山周辺の生活-」・・・生駒を中心に、和歌山・河内等周辺地域との民俗文化の比較をお話いただきました。普通に過ごしていたら、見逃してしまいがちな風景にも実は貴重な民俗が隠れています。そういったものを、立ち止まって見つめなす事の重要性が分かる講演会でした。(ミュージアムのフェイスブックより)

19(H31). 2.23<講演会>奈良県立民俗博物館主任学芸員 溝邊悠介氏の企画展に絡めた講演会・・・民具に残された微かな痕跡を、科学的なデータを根拠にお話されていました。工学の視点から民具を解き明かしていく溝邊先生のお話は、大変興味深く、目から鱗の内容が散りばめられていました。(ミュージアムのフェイスブックより)  

18(H30).12.23<講演会>本願寺史料研究所研究員 岡村喜史氏「寺院の広がりから探る大和の歴史」・・・大和では、ほぼ旧村ごとに寺院があります。これらの寺院がどのようにできたのかについて宗派の分布や成立時期などを通じて生駒市域における歴史と地域性を考えてみましょう。(案内文より)

18(H30).11.10<講演会>高野山大学密教学科助教 櫻木潤氏「行基とその教え―菩薩道の目覚め―」・・・大阪狭山市の『行基資料集』の編纂にも携わった櫻木氏の講演会。行基の活動を、当時の社会情勢に落とし込みながらお話いただきました。たとえば、「行基は僧尼令違反として弾圧された」とよく耳にしますが、そもそも僧尼令とはいかなる思想の上で制定され、なぜ行基は従わなかったのか。仏教史の中に行基の活動や思想を落とし込むことで、従来見えていなかった部分が明らかになりました。(ミュージアムのフェイスブックより)

18(H30).10.21<特別展関連講演会>元同志社大学教授 辰巳和弘氏「アメノウズメ神話の時空―“祭り人”と“護り人”―」・・・古代神話に登場するアメノウズメは、天岩屋(に籠もる太陽神アマテラスを呼び戻し、地上に再び光明をもたらす神として知られています。そこでのさまざまな呪術的な行為が、すでに弥生・古墳時代の人物図像にあることを説き、今につながる古代人の心を解明します。(案内文より) /辰巳氏は、日本神話のアメノウズメの記載から、古代人のメンタリティや祭祀を考え、考古遺物に残された人の形との関連についてお話していただきました。シンプルな描線の、しかし変化のある描き方ひとつひとつに注目し、古代の祭祀形態を復元していくお話は、まさに知の海に潜っていくかのような面白さにあふれていました。(ミュージアムのフェイスブックより)

18(H30). 9.29<講演会>近畿大学文芸学部教授 鈴木拓也氏「聖武天皇の大仏造立とその息子たち」・・・743年に紫香楽宮で大仏造立を始めた聖武天皇は、翌年閏正月に難波遷都を強行します。しかしその43日後に元正太上天皇と左大臣橘諸兄を残して紫香楽に戻り、諸兄が天皇不在の難波宮でこれを皇都とする勅を読み上げました。この不可解なできごとは、政権内部の抗争とみるのが通説であるが、全く別の観点から読み解いていただきます。(案内文より) /743年、紫香楽宮で大仏造立を始めた聖武天皇は、翌年閏正月に難波遷都を強行します。しかしその43日後に、元正太上(げんしょうだじょう)天皇と左大臣橘諸兄(たちばなのもろえ)を残して紫香楽に戻り、諸兄が天皇不在の難波宮でこれを皇都とする勅を読み上げます。このできごとについては、政権内部の抗争とみるのが通説とされていますが、鈴木氏は以下の章立てをもって別の観点から読み解いてくださいました。第1節:聖武天皇と国分寺・大仏、第2節:難波遷都と難波皇都宣言の謎、第3節:難波皇都宣言をめぐる解釈、第4節:2月24日の紫香楽宮行幸はなぜ行われたか、第5節:2月24日の意味、第6節:難波皇都宣言はなぜ行われたか、第7節:安積親王・皇太子基王と盧舎那仏です。鈴木氏は、従来の研究で過小評価されていた安積親王の死について、光明交合の娘である阿部内親王を立太子(これは光明皇后および藤原氏への忖度ととるのが自然)しているがゆえに、むしろ安積親王に対し痛惜の念が強かったのではと推測されていました。そのうえで、鎮護国家を目的とする大仏造立に、息子の菩提を祈る意味を付加したのでは、とお話されました。(ミュージアムのフェイスブックより)

18(H30). 7.21<講演会>大阪国際大学国際教養学部教授 笠井敏光氏 「墓誌から世界がみえる―生駒市発見の二つの墓誌―」・・・生駒市では、行基と美努岡萬の二つの墓誌が発見されています。その墓誌に記された文字の形に着目し、日本における文字の変遷をたどったうえで、生駒の墓誌を東アジア漢字文化圏に位置づけます。(案内文より)

18(H30). 6.23<講演会>生駒市文化財保護審議会委員 中谷八榮子氏「乙田浄瑠璃・芝居の歴史」・・・歌舞伎と人形浄瑠璃を演じた村人は、農作業の寸暇に稽古を続け、村内に貴重な娯楽を届けました。起こりは幕末の頃、趣味の浄瑠璃語りが流行したことによります。村内有力者の援助があり、プロの芸能者を雇い演技力を磨きました。何と!村人義太夫は芸名を名乗りました。芝居の舞台は毎年二回に村総出で組み立てられ、人形芝居は座敷に設けられ、楽しく豊かな時間を味わったのでした。やがて昭和十年頃、約八十年の歴史を終えたのでした。そんな奈良県の指定文化財である乙田浄瑠璃の歴史について学んでいきます。 (案内文より)/奈良県の県指定文化財である乙田の浄瑠璃芝居は、江戸末期から明治初期に発祥し、昭和の前期まで乙田村の人たちによって行われました。元々は一人の趣味芸であった浄瑠璃語りから周囲の人々と共に行うようになり、歌舞伎を演じ、人形浄瑠璃を演じるようになり、周囲の村々へ公演しにいくようなります。そんな乙田村の人々の歴史と文化を伝える資料を生駒市萩の台の文化財保存館へ保存するまでに至った経緯から始まり、芸能史や保存している資料、残された映像をもとに乙田村の浄瑠璃・芝居の歴史についてお話いただきました。この人形浄瑠璃で使われた人形の一つは当館でも現在展示しております。(ミュージアムのフェイスブックより)

18(H30). 5.26<講演会>近畿大学文芸学部教授 網伸也氏「平城京から長岡・平安京へ―山背遷都の実像を考古学から探る―」・・・山背遷都を考古学の立場から振り返るとともに、平安京が平城京から継承したものと、あらたに創出したものを考え、新しい時代の都城の実態に迫ります。(案内文より)/まさに「電撃的」におこなわれた平城京から長岡京への遷都について、考古学の成果を中心にお話いただきました。自然災害説、早良親王の怨霊説は従来いわれてきた長岡遷都の理由でした。しかし、網氏は、これらいずれも原因のひとつであって、決定的な要因ではないとの説を提唱されていました。天武系旧勢力の強い平城京から、天智系の新たな王統を意識した桓武天皇はいち早く遷都する必要があったといわれています。そのため、桓武は遷都を急ぐあまり、都城のマスタープランを完成させず長岡遷都をおこない、故に都造りに失敗したのではと網氏はおっしゃっていました。また、上記の自然災害説と怨霊説について、前者に関しては、長岡京ののちに造られた平安京も水害が頻発していた、後者に関しては、祟りを恐れたにしては長岡から近すぎる距離に平安京を造っている点について、批判を加えていらっしゃいました。長岡京の失敗を経て、マスタープランが完成した平安京は、悠久の都となりました。現在、桓武のプランに沿って発掘調査をおこなうと、誤差約1mの範囲で遺跡が発見されるといいます。形ある資料を提示する考古学と、人の心のあり様を考える民俗学。これらふたつの視点を交えたお話であったかと思います。今は無き都の痕跡と桓武の人物像から長岡京・平安京を見つめ直す、刺激的な講演でした。(ミュージアムのフェイスブックより)

18(H30). 4.28<講演会>帝塚山大学非常勤講師 戸花亜利州(とばな ありす)氏「生駒の古寺・古仏―巡拝の旅―」 ・・・奈良県と大阪府の間を南北に走る生駒山地は、古来より聖地・霊場として多くの人々の信仰を集めてきました。今回、生駒周辺の古寺に伝わる仏像に注目し、見所や仏像の見方を紹介したいと思います。 (案内文より)/奈良県と大阪府の間を南北に走る生駒山地は、古来より聖地・霊場として多くの人々の信仰を集めて来ました。/奈良県と大阪府の間を南北に走る生駒山地は、古来より聖地・霊場として多くの人々の信仰を集めて来ました。今回、生駒周辺の古寺に伝わる仏像に注目し、見所や仏像の見方を紹介していただきます。 (案内文より)/この講演では、まず、仏像の基礎知識として、仏像が誕生するのは釈迦の入滅後しばらくしてからだったことや、仏様の種類の紹介や三十二相八十種好から仏像が作られていることといったことを解説いただきました。次に生駒市の仏像の話になり、宝山寺の仏像を見ながら湛海律師作の仏像の特徴や特異性など、また長久寺や法楽寺、高山八幡宮の神仏像について像の写真を見ながら細かい造形についてお話いただきました。最後にパワーポイントの画面で解説の中にあった仏像の拡大写真を見ながら詳細に解説いただきました。近世の仏像を見るにあたり、宝山寺の仏像を見ることは重要であり、宝山寺の仏像には湛海律師の独特な信仰を見出すことが出来るといったお話を交えながら解説いただき、大変に興味深い講演会となりました。(ミュージアムのフェイスブックより)

18(H30). 3.17<講演会>斑鳩町教育員会 平田政彦氏「飛鳥時代の斑鳩における上宮王家の動向について―考古学成果を中心に―」・・・平田先生は古代寺院や古墳を専門として、現在斑鳩文化財センターを拠点にご活躍なされております。この講演では、大化の改新の以前、推古天皇崩御から、上宮王家が滅亡に至るまでの動向と蘇我氏との関わりを、文献資料を見ながら発掘成果と照らし合わせて当時の事変をお話いただきました。山背大兄王と田村皇子との皇位継承争いから蘇我氏一族の動向を踏まえて、大化の改新に至るまでの当時の政権争いの流れを様々な資料をもとにお話しいただき、多角的な視野から見ることのできる講演会となりました。ミュージアムのフェイスブックより

18(H30). 3. 4<企画展ハイキング>暗峠・・・報告文ミラー> 

18(H30). 2.17<企画展講演会>奈良大学非常勤講師 山上豊氏「大軌の開通と近代生駒の形成—観光地としての発展」・・・山上先生は大学でも奈良県の近代史について教鞭を執っていらっしゃいます。この講演では、まず、大軌開通以前の生駒の姿を、町村制の面から解説していただきました。そして、大軌開通後の生駒町の変貌について、人口や当時の新聞記事などのデータを用いつつお話いただきました。生駒は農村でありながら、立地の面から農業が大きく発達したとはいえなかった地域です。その中において、近世から多大な人気を得ていた宝山寺の存在が非常に大きく、大軌開通後の人の流れも宝山寺を中心としたものとなっていました。こういった流れを、さまざまな資料をもとにお話いただき、大変に興味深い講演会となりました。(ミュージアムのフェイスブックより

18(H30). 1.27< 企画展講演会>交野市教育委員会 吉田知史氏「瓦からみた生駒と交野」・・・生駒市の北西に位置する交野市。生駒市と交野市ではお互いの地の瓦が出土します。これは人々の往来が盛んであったことを意味します。瓦の分布から見る生駒市と、交野市の歴史と交流についてお話します。 (案内文より)/交野と生駒の瓦から見たつながりを講演していただきました。瓦というと、三つ巴紋や蓮華紋といった軒丸瓦の紋様や、鬼瓦のような役瓦をイメージしますが、今回は刻印瓦についての講演でした。生産管理のために瓦屋が製品に刻印を押したものをいい、この刻印を分析することにより、その瓦の産地や瓦屋の名前がわかります。生駒と交野では、相互に瓦屋の刻印瓦が広がっており、交野の「私瓦八」などは生駒を含む周辺地域に広がっています。また、生駒の「高瓦房」や「高森岡安早」などは交野を含んで広がりを見せています。このことから生駒と交野は瓦が相互に行き来しており、刻印の類似性からも近しい関係にあったことがうかがえます。刻印一つで様々な発見へ結びつく面白さに興味を惹かれました。散歩するとき、古いお家を見つけたら軒先の刻印瓦を発見できるようにしたいですね。過去にミュージアムにおいて、瓦についての講演会を他にも開催しました。2014年6月21日 帝塚山大学考古学研究所所長 清水昭博氏「古代瓦からみた生駒の歴史~聖徳太子と行基~」 2016年3月25日 近畿大学文芸学部 網伸也氏「考古学からみた道昭の足跡」ご興味がございましたら、当館までお問い合わせください。

17(H29).12.23<講演会>生駒ふるさとミュージアム 福永信雄館長「生駒好き必見!生駒山の名前の由来、市内の遺跡を語る」・・・当館館長による「生駒の名前の由来、市内の遺跡」。古い文献では生駒は「往馬」「生馬」など様々な形で記されています。その地名の由来が示すものとは一体何か、また縄文時代から中世まで市内の主な遺跡を学んでいきます。生駒の歴史に興味がある、分かりやすく知りたい方におすすめの講座です。(案内文より)報告文ミラー

17(H29).11.25<講演会>京都府立大学学術研究員 水谷友紀氏江戸時代の長州藩大坂船頭」・・・報告文ミラー 

17(H29).10.14<特別展講演会>文化功労者・近畿大学名誉教授 野本寛一氏「水の民俗事始め」・・・報告文ミラー 

17(H29). 9.30<講演会>「生駒・長福寺解体修理で見えた真実 」・・・奈良県教育委員会文化財保存事務所 山下秀樹氏、奈良文化財研究所 文化遺産部歴史研究室長 吉川聡氏の2人による「生駒・長福寺本堂の修理工事と木札の調査」。生駒市俵口町にある長福寺本堂は、鎌倉時代に建立された古建築です。建物の劣化による解体修理が平成24年より4年かけて行われました。その過程で、創建などを物語る痕跡、当時の寺院経営の実態を示す木札などが発見されました。それら成果の概略を調査担当者から説明します。(案内文より)報告文ミラー 

17(H29). 8.26<講演会>天理大学前教授 谷山正道氏そのとき民衆は見た…幕末終焉の魁、天誅組の変」・・・幕末に大和の地で起きた「天誅組の変」はどのような事変であったのか。史料をもとに、当地の人々の視線から、その実像に迫ります。(案内文より)報告文ミラー

17(H29). 7.22<講演会>天理大学准教授 天野忠幸氏「『天下人』三好長慶と飯盛城を解き明かす」・・・生駒山地から西へ派生した山脈には、大阪府下で最大の山城である飯盛城があります。戦国時代、京都・大阪・奈良を舞台に活躍した武将が、この飯盛城を居城としました。その中でも、三好長慶は織田信長よりも先に、二十年にわたって「天下を治めた」と言われています。そして、飯盛城はすぐにヨーロッパにも伝えられ、世界地図には「Imoris(イモリス)」と記されています。「天下人」三好長慶とはどんな人物だったのでしょうか。なぜ飯盛城はヨーロッパ人のつくった世界地図に載っているのでしょうか。これらを解き明かしていきます。(案内文)報告文ミラー

17(H29). 6.10<講演会>近畿大学教授 鶴田格氏「生駒の棚田・里山とその保全:文明史的視点から」・・・アジア稲作農耕文明(文化)からみた生駒の棚田の位置づけを行います。いま棚田を保全する意義とは! (案内文より)報告文ミラー 

17(H29). 5.27<ミュージアム学芸員講座>「生駒に鸛鶴(こうづる)はいたか?-コウノトリの環境民俗学―」 ・・・奈良県下に飛来した個体と歴史史料・民俗資料から生駒周辺地域とコウノトリの関係性を探ります。(案内文より)報告文ミラー 

17(H29). 5.26<講演会>柏原市立歴史資料館館長 安村俊史氏「~大和川水運を紐解く~大和川水運と近世大和の産業」・・・ 古代より大和と大坂を結ぶ大動脈としての大和川、特に近世の大和における役割について産業を通して考えます。(案内文より)報告文ミラー 

17(H29). 4.23<講演会>橿原考古学研究所附属博物館主任学芸員 小栗明彦氏「~竹林寺古墳の謎に迫る~竹林寺古墳の被葬者像 ・・・報告文ミラー

17(H29). 3.25<歴史講演会>高野山大学助教 櫻木潤氏「『聖地』としての生駒山ー信仰の山に魅せられた人々ー」・・・報告文ミラー

17(H29). 2.25<特別展講演会>葛󠄀城市歴史博物館館長補佐 田中慶治氏「戦乱の世をゆく大和武士」・・・報告文ミラー

17(H29). 2.11~3.12<特別展>「戦国の生駒ー北大和、河内、南山城をめぐる攻防と展開ー」・・・ご案内 ミラー

17(H29). 1.28<歴史講演会>奈良市埋蔵文化財調査センター 中島和彦氏南都の土器の話-生駒市西畑遺跡出土の中世土器をめぐって-」・・・報告文ミラー 

17(H29). 1.17<歴史講演会>奈良文化財研究所副所長 杉山洋氏「古代の鏡を作る」・・・報告文ミラー

16(H28).11.27<歴史講演会>大東市教育委員会の黒田淳氏による講演「北新町遺跡と東大寺」・・・報告文 ミラー

16(H28).11.19<講演会>南都明日香ふれあいセンター犬養万葉記念館館長 岡本三千代氏 「『万葉集』に親しむ」 ・・・ 報告文 ミラー

16(H28).10.22<歴史講演会>・・・四條畷市立歴史民俗資料館館長 野島稔氏「継体天皇と河内の馬飼い」・・・ 報告文 ミラー> 

16(H28). 9.24<歴史講演会>奈良大学文学部非常勤講師 山上豊氏「近代生駒地域の形成と大軌の開通」 ・・・かつて街道筋を中心とて発展していった村々が、鉄道開通を経てどう変化していったのかについてお話しして頂きます。(案内文より)報告文 ミラー

16(H28). 8.20<歴史講演会>奈良芸術短期大学教授 前園実知雄氏に「竹林寺の二つの墓―行基と忍性―」 ・・・報告文 ミラー

16(H28). 7.23<歴史講演会>(公財)枚方市文化財研究調査会理事 宇治田和生氏「中世の焼物の生産と流通」・・・報告文  ミラー

16(H28). 6.18<歴史講演会>帝塚山大学教授 鷺森浩幸氏「古代の生駒と奈良の寺院」 ・・・ 報告文 ミラー 

16(H28). 5.28<歴史講演会>大阪大谷大学元教授 吉原忠雄氏「仏像の見かた入門」 ・・・ 報告文 ミラー 

16(H28). 4.16<歴史講演会>高槻市立しろあと歴史館 西本幸嗣(こうじ)氏「摂河・大和地域における融通念仏宗の広がりと信仰」 ・・・報告文 ミラー>  

16(H28). 3.26<歴史講演会>近畿大学文芸学部 網伸也氏「考古学からみた道昭の足跡」・・・生駒にゆかりのある行基が師事したという道昭。その人物像や、道昭に関連する遺跡や遺物から当時の社会を考えるというものでした。特に考古学からみた道昭の周遊というテーマで、道昭に関連した瓦や塼仏の出土場所などを追っていくお話は、必聴の価値あり!道昭のことを詳しく知られるだけではなく、考古学の研究方法の一つを学べる講演会だったと思います。(ミュージアムのフェイスブックより

16(H28). 2.20<企画展講演会>枚方市文化財研究調査会 武知邦博氏「地形と農作‐生駒と北河内の農具‐」・・・昔の人々は自分の住んでいる所の地形や地理に合った農作物を作っていたことを教えて頂き、改めて作物と地形、そして使用する道具の関係が良くわかりました。(ミュージアムのフェイスブックより

16(H28). 1.30<歴史講演会>奈良市埋蔵文化財調査センター所長 森下恵介氏「都の寺と山の寺‐生駒葛城と吉野大‐」・・・古代の都の寺と山地寺院との関係において、修経者のはたす役割の重要性を考えさせられました。(ミュージアムのフェイスブックより

15(H27).12.19<歴史講演会>大和郡山市教育委員会 山川均氏「中世生駒の石造物 」・・・竹林寺と忍性のお話を中心に、暗越奈良街道沿いに広がる石造物群についてお話を頂きました。生駒の石造物の背景には、忍性さんの影響があったんですね!! (ミュージアムのフェイスブックより)

15(H27).11.29<特別展講演会>(公財)元興寺文化財研究所副所長 狭川真一氏「石仏・石塔の再利用と霊魂観」・・・石仏・石塔は大和郡山城のお城の石垣に利用されており、戦国時代から、石仏・石塔の概念が変わってきたと考えられるそうです(ミュージアムのフェイスブックより)

15(H27).10.17<歴史講演会>四條畷市教育委員会 實盛良彦(じつもりよしひこ)氏ヤマト王権、王の光と青銅鏡―卑弥呼から継体大王まで―」・・・銅鏡を研究されている若手の研究者です。鏡のもつ意味を通して古墳時代を見つめました。銅鏡一つとっても、歴史の流れの復元というのはまだまだ分からないことがたくさんあることが分かりました。(ミュージアムのフェイスブックより

15(H27).10.17<講義・体験>八尾市立歴史民俗資料館河内木綿担当学芸員 李煕連伊(イヒヨンイ)氏江戸時代の綿づくりと木綿織り」・・・日本における木綿製品の歴史や江戸時代における木綿製品についての講義、綿繰り・糸紡ぎの体験を行いました!講義では、江戸時代に出された『綿圃要務(めんぽようむ)』を読み解きながら、綿栽培について理解を深めました。また、綿繰り・糸紡ぎの体験では、小学生の子どもたちにも参加していただき、楽しい時間を過ごすことができました。綿繰りは、思った以上に力のいる作業でしたね。(ミュージアムのフェイスブックより)

15(H27). 9. 5<歴史講演会>元興寺文化財研究所評議員 藤澤典彦氏石造品から見た生駒輿山墓地の歴史」・・・藤澤先生のお話により、輿山古墓の石造物の変遷を知ることにより、生駒市の輿山古墓の持つ重要性を改めて認識することができました。(ミュージアムのフェイスブックより)

15(H27). 8.29<歴史講演会>関西学院・奈良大学講師 天野末喜氏船形埴輪出現の歴史的意義」・・・今、常設展示室では船形埴輪を展示していますが、今回の歴史講演会で更に掘り下げて学ぶ事ができました。古墳時代の中期に登場した船形埴輪は王のお墓に使われ、祭祀的な意味をもつものとして推測されています。ミュージアムでは常設展、企画展、特別展、各々の展示内容とリンクした歴史講演会を行っております。貴重な講演に、展示をみて更に興味を持ってご参加いただけると思います。(ミュージアムのフェイスブックより)  

15(H27). 8.29<歴史講演会>近畿大学文芸学部前教授 大脇潔氏 「墓誌の話」・・・古代日本の墓誌はわずか17例しかないらしいのですが、行基さんと遣唐使の美努岡万という、2つの墓誌が発見されているこの生駒の地は、とても恵まれた地なんですね~!(ミュージアムのフェイスブックより)

15(H27). 6.27<歴史講演会>橿原考古学研究所 青柳泰介氏家形埴輪をめぐる諸現象から古墳時代社会を考える」・・・今までの調査の内容とともに、たくさんのスライドショーも見せて頂きました。普段みることのできないものなので、受講者の方々も興味深くご覧になっていました。(ミュージアムのフェイスブックより)

15(H27). 5.31<歴史講演会>関西大学非常勤講師 天野忠幸氏「松永久秀の虚像と実像」・・・梟雄、下剋上、裏切りといった現在の私たちがもつ松永久秀のイメージは江戸時代に作られたものであり、当時の古文書からは主君への忠義、家族への愛情にあふれた松永久秀を読み取れるとお話頂きました。東大寺焼き討ちや多門山城の築城、信貴山城の戦いでの最後など、奈良県とも所縁の深い松永久秀について、新知見に触れることができました。(ミュージアムのフェイスブックより)

15(H27). 4.29<歴史講演会>八尾市立歴史民俗資料館館長 小谷利明氏「生駒が生んだ戦国武将-鷹山弘頼の栄光と挫折-」・・・生駒出身で、南山城・河内地方と広い範囲で活躍した戦国武将 鷹山弘頼氏の活躍について解説していただきました。戦国時代の生駒周辺は、本当に複雑な政治状況だったんですね。(ミュージアムのフェイスブックより)

15(H27). 2.14生駒学講座>東大阪市立郷土博物館学芸員 中西克宏氏「生駒山の東と西-東大阪と生駒の古墳時代-」・・・東大阪と生駒市の歴史的な共通点や相違点に迫りました!。(ミュージアムのフェイスブックより)

15(H27). 2.13考古学入門>地域文化財研究所主任研究員 影山美智与氏「時代区分ってなんだろう?」・・・「新石器時代はいつか!?」という話題で白熱したやりとりがおこなわれました!。(ミュージアムのフェイスブックより)

15(H27). 2. 8<冬季特別展講演会> 昨日、2月7日からいよいよ冬季特別展 魅力発見!生駒の神さま・仏さま!お寺と神社の文化財が始まりました。これを記念しまして、寳山寺貫主 大矢實圓大僧正猊下による講演「寳山寺の歴史」が開催されました。寳山寺、中興開山の湛海律師、真言宗の話と多岐にわたり、非常に興味深いお話をいただきました。当日は大変多くの方にお越し頂き、嬉しい悲鳴でした!貫主さま、本当にありがとうございました。(ミュージアムのフェイスブックより)  

14(H26).12.21<生駒学講演会>奈良県立橿原考古学研究所附属博物館主任学芸員 小栗明彦氏「壱分遺跡群と渡来系文物」・・・生駒市の往馬大社ちかくにある壱分宮ノ前遺跡は、物部氏の物流拠点的な施設だったのかも!? 古代ロマンが広がりますね~~!!(ミュージアムのフェイスブックより)

14(H26).12. 5<考古学入門4>地域文化財研究所 福永信雄所長「発掘!土に埋もれた歴史」・・・なぜ人間は歴史を考えるのか・・・考古学はモノを通して過去の事実を解明する学問ですが、そこからや人生や、未来を考えることにも繋がるんですね。(ミュージアムのフェイスブックより)  
14(H26).11.22<生駒学講座四條畷市立歴史民俗資料館館長 野島稔氏「田原城とその菩提寺」・・・四條畷では日本最古のキリシタン墓碑である、田原城主の田原レイマンの墓碑が発見されているんですね。バレンタインデーに発見されるなんて、運命的!河内キリシタンは謎とロマンに満ちていますね。(ミュージアムのフェイスブックより
14(H26).10.18<生駒学講座6橿原考古学研究所特別指導研究員 奥田尚氏「十三仏板碑の信仰とその生産地」・・・今も生駒谷に多く残る十三仏板碑の産地や生産について、材料である石材の分析から考察して頂きました。その結果。。。なんと!現在残っている板碑は、生駒で生産されたものがもっとも多いということです!!(ミュージアムのフェイスブックより)  
14(H26). 9.23<企画展講演会堺市立泉北すえむら資料館 森村健一館長「須恵器生産と行基」・・・須恵器は土器ではなく「日本最初の陶器!」だったんですね~!(ミュージアムのフェイスブックより)
14(H26). 8.23<生駒学講座大阪府教育委員会文化財保護課総括主査 有井宏子氏「行基ってナニモノ?-土木事業から探る-」・・・ため池や土塔の発掘調査から、行基さんの時代の土木技術について考え、いつもとはちょっと違う視点から行基さんに迫ることができました。今年は行基さんについてあらゆる角度から考察していますが、行基さんという方は、知れば知るほど違う側面が見えて、興味が増していきますね!(ミュージアムのフェイスブックより)  
 
14(H26). 7.26<生駒学講座帝塚山大学考古学研究所所長 清水昭博氏「古代瓦からみた生駒の歴史~聖徳太子と行基~」・・・生駒市の竹林寺と柏原市の河内国分寺との瓦のつながりなどを、興味深くお話下さいました。(ミュージアムのフェイスブックより)
14(H26). 6.24<生駒学講座帝塚山大学考古学研究所所長 清水昭博氏「古代瓦からみた生駒の歴史~聖徳太子と行基~」・・・生駒市の竹林寺と柏原市の河内国分寺との瓦のつながりなどを、興味深くお話下さいました。(ミュージアムのフェイスブックより)
 
 

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