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生駒ふるさとミュージアムの「生駒の歴史と文化入門講座」

講座開催場所 : 生駒ふるさとミュージアム

<この記事は、生駒検定<全国版><問26>生駒の歴史生駒の神話の参考記事です。>

生駒の歴史と文化に関する講演会等

20(R 2)年度

19(R 1)年度

 第10回( 3月13日)・・・新型コロナウイルス感染拡大防止のため、延期「高山八幡宮の無足人座(むそくにんざ)」・・・戦国時代、戦に敗れ断絶した鷹山(たかやま)氏の臣下が資材を失い、結成した「無足人座」。江戸時代には「茶筌(ちゃせん)師座」とも呼ばれ八幡宮の祭礼神事に参画してきた歴史を学びます。(案内文より)  

 第9回( 2月14日)「鷹山家文書の翻刻(ほんこく)」・・・  中世戦乱の時代に「大和国侍二十八人衆(やまとのくにざむらいにじゅうはちにんしゅう) 」一として活動した鷹山氏宛ての書状107通が保存されていて、中世の生駒を知る貴重な史料です。生駒市教育委員会が翻刻事業を行っています。文書の概要について学びます。(案内文より)   

 第8回( 1月17日)「那富(なほ)山墓と隼人石」・・・聖武天皇の期待を一身に集めながら一歳の誕生日を目前にして夭折した皇太子の墓と伝えられる那富山墓と墓を守ると伝承されている隼人(はやと)石の謎について学びます。(案内文より) 

 第7回(12月13日)「仁徳天皇をめぐる比売(ひめ)たち」・・・『古事記』がその治世を「聖帝の世」と讃えた仁徳天皇をめぐる皇后石之(いわの)日売、黒比売、八田若郎女(やたのわきいらつめ)などの比売たちの確執について学びます。(案内文より)

 第6回(11月15日)「鬼の歴史と民俗」・・・伝説や民間説話、「お伽草紙(とぎぞうし)」や祭礼行事などに登場する多彩な「鬼」の歴史と民俗について、文献史料を通して学びます。(案内文より)   

 第5回(10月18日)「謎の古代山城・鬼ノ城」・・・白村江の戦いに敗れて、唐・新羅連合軍の侵攻に備えて大和朝廷が築いた古代山城の一つと伝承されている吉備の国の鬼ノ城について、築城の歴史的背景と壮大な構造の謎をお話いただきました。生駒ふるさとミュージアムのフェイスブックより 

 第4回

 第3回( 7月19日)「天誅組の蹶起は義挙か?」・・・天誅組主将中山忠光と一兵士原田亀太郎の人物像を通して「明治維新の魁さきがけ」と呼ばれた蹶起の実像について学びます。(案内文より)   

 第2回( 6月14日)「近代生駒の黎明(2)-寳山寺開山と門前町生駒-」・・・「生駒の聖天さん」と親しまれ年間百数十万人の参詣者が訪れる寳山寺。閑静な山間の農村が寳山寺の門前町として繁栄していく歴史の過程を寺院に残る史料を通して学んでいきました。(生駒ふるさとミュージアムのフェイスブックより)    

 第1回( 5月17日)「近代生駒の黎明(1)-生駒トンネル開削と大軌開通-」・・・生駒トンネル掘削の英断と事故・慰霊、大軌開通による生駒地域の発展について学び、事故犠牲者の慰霊碑を訪ねます。(案内文より)トンネル掘削にまつわるお話で、当時敷設工事に携わった人びとのリアルなやり取りを交えながらの興味深いお話でした。生駒は鉄道の敷設により大きく発展した土地であると言える場所であり、生駒を学ぶという点で今年度初回に相応しい内容であると感じました。お話の後には、トンネル掘削工事中に起きた事故の犠牲者を弔った慰霊碑を訪ねて、現地見学を行いました。(生駒ふるさとミュージアムのフェイスブックより) 

18(H30)年度

 第10回( 3月15日)「応仁の乱―中世大和動乱と生駒」

 第9回( 2月15日)「中将姫伝説と當麻曼荼羅」・・・浄土信仰が息づく生駒の風土を舞台に、中将姫伝説は今も脈々と語り継がれている…そんなお話をしていただきました。(生駒ふるさとミュージアムのフェイスブックより) 

 第8回(12月14日)「生駒の地名起源」 

 第7回(11月16日)「中世の夢―権力掌握の夢を共有する集団」・・・摂関家の三男に生まれ、権力掌握を目指して激動の時代を生き抜いた九条兼実の日記(『玉葉(ぎょくは)』)を通して中世の人々の夢について学びます。(案内文より)報告文ミラー   

 第6回 (10月19日)「古代の夢―王権の皇嗣や大事を決した夢」・・・夢には、いくつかの意味があるかと思いますが、「将来の夢はなんですか?」のほうではなく、「睡眠中にみる夢」のほうです。古代の史料をひも解くと、夢のお告げによって皇嗣を決定づけることさえあり、国の動向を左右することがいくつもあったということがわかります。現在でも日常会話のなかで、「正夢」、「逆夢」や「夢のお告げ」という言葉を使うことがありますが、夢のお告げによる国家運営なんてあり得ないですよね?しかし古代ではあり得たのです。当時に生きた人々の目線で歴史的事象を考える姿勢が、真実の歴史を解明する鍵になるのではないでしょうか。みなさんはどう思われますか?(生駒ふるさとミュージアムのフェイスブックより)  💡  

 第5回 ( 9月14日)「山背大兄王の変と生駒」・・・「日本書紀」には、蘇我入鹿に襲撃された山背大兄王が、生駒山に隠れたという記述があります。そしてその姿は遥か山中に見ることができたと記されています。今回は、この山が果たして現在の「生駒山」なのか?という点に着目しました。この疑問に応えるべく、今木先生は、実際に斑鳩の方向から生駒方面をご覧になり、矢田丘陵にさえぎられて生駒山は見えないことを確認されました。よって、ここでいう「山中」とは、現在の生駒山ではなく、矢田丘陵を指しているとの結論を出されました。この講座では、山背大兄王の生涯を学ぶと同時に、疑問に思うことがあれば実証してみる行動力が歴史を紐解く上で大切であることをご教示いただきました。報告文ミラーより)  。‼️  

 第4回( 7月13日)「『古事記』を繙くーヤマトタケルノミコト神話」・・・王権確立の陰で、外敵征討の戦いに疲れて病に倒れ、死してのち白鳥になって飛び立った悲劇の皇子の生涯について学びます。 (案内文より)/青年期より猛々しい性格を持っていた小碓命(おうすのみこと)、彼がのちのヤマトタケルノミコトでした。その凶暴さから、親からも恐れられ、中央に置いておくことへの危機感から熊曾の討伐へと派遣されていきました。その後は武勇をあげつつも、故郷を目前にその生涯を終え、魂は白鳥となり飛び去る、悲劇の英雄でした。先生の解釈では、この物語は、「国家の組織を確立していく中で個人としての英雄の活動が次第に排除されていく過程」であるとのことでした。非常に面白い解釈であると思います。(生駒ふるさとミュージアムのフェイスブックより)   

 第3回( 6月15日)「『古事記』を繙く-スサノオノミコト神話」・・・荒ぶる神であるとともに、柔和な農耕神でもあるスサノオノミコトについて『古事記』と『出雲国風土記』を通して学びます。(案内文より)/―神代の頃、悪行を重ね、神々が住む天上の世界から追放されたスサノオノミコトは、出雲の地へと降り立ち、そこで罪なき少女たちを襲って食べたヤマタノオロチを退治した―。この一連の神話を一度は耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか。神々の世界では、アマテラスに怒りを買うほどの悪事を重ねる悪の一面。出雲の国では、恐ろしい大蛇を退治する勇敢で正義感あふれる善の一面。スサノオノミコトは、古事記のなかで、その二面性が表現されています。どのようにスサノオのイメージが悪から善に変化したのかを考えていくと、スサノオとは一体何者なのか、なぜ出雲なのか、この神話が描かれた背景とは何なのかなど、様々な疑問が生じます。一見、荒唐無稽のように感じられる神話が、実はそれが記された時代の思想や社会的背景を知る手がかりになるのではないか、という捉え方。今木先生には、そうした記紀に向き合う姿勢についてもご教示いただきました。歴史を解釈する者の心得とは、常に問いを持ち続け、複眼的な視点で資料と対話する事であると感じました。お越しいただいたみなさんはいかがでしたか?(生駒ふるさとミュージアムのフェイスブックより) 

 第2回( 5月18日)「饒速日命と長髓彦伝説」・・・日本書紀」と「先代旧事本紀」の説話を通して天磐船(あめのいわふね)に乗って天降った饒速日命と生駒の先住民長髓彦の伝承について学びます。(案内文より)/前回の「イザナギ・イザナミ神話」から引き続き、神話の世界から日本の文化や歴史観を学びました。長髓彦について。神武天皇が九州から生駒山を通り大和に入る際、抵抗し続けた長髓彦。『古事記』や『日本書紀』では、服従しない者=ワルモノ扱いされているけれど、果たしてそうなのか、という先生の問いかけに、はっとしました。確かに私自身、長髓彦イコール反逆者というイメージを持っていました。しかし、少し見方を変えてやると、長髓彦は、実に地元愛にあふれた人物であったのかもしれないと―そういう考えに至り、これまでの偏った「思い込みの解釈」に深く反省した次第です。今木先生のたった一言で、新たな視点が生まれる機会となりました。ありがとうございます! (生駒ふるさとミュージアムのフェイスブックより)    

 第1回( 4月13日)「イザナキ・イザナミ神話」・・・「古事記」・「日本書紀」が伝える神話を通して、原初日本人の死生観について学びます。(案内文より)報告文ミラー 

17(H29)年度

 第10回 ( 3月16日)「生馬庄と伊古麻都比古神社」・・・生馬上庄(かみのしょう)と生馬下庄(しものしょう)の成立の経緯と伊古麻都比古神社の歴史・祭礼について、文献史料をもとに学びます。(案内文」より) 報告文ミラー 

 第9回 ( 2月16日)「上鳥見庄と長弓寺・伊弉諾神社」・・・現在の鹿畑町・上町にあった上鳥見庄と長弓寺、伊弉諾神社について、文献史料と近年の発掘調査の成果をもとに学びます。(案内文より)今回の講座では現在の鹿畑町・上町にあった上鳥見庄(かみとみしょう)と長弓寺、伊弉諾(いざなぎ)神社について、文献史料と近年の発掘調査の成果をもとに学びました。上鳥見庄の「鳥見」の地名の由来から始まり、「先代旧時本紀(せんだいくじほんぎ)」、「日本書紀」、「続日本書紀」、「和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」等の文献からみえてくる鳥見についてお話しいただきました。それぞれの文献で、「鳥見」についての解釈が違う事、昔の読み方や書き方で「鳥見」の表記が違うのでは!?とのいつもの今木節が聴けました。先生の講座を聴くたびに、生駒という所は神話と歴史に密接な関係を持つ、ミステリアスな部分が多い地域なのだなと思います。生駒の魅力はまだまだつきませんねー! (生駒ふるさとミュージアムのフェイスブックより)    

 第8回 (12月15日)「鷹山庄と高山八幡宮」・・・正倉院文書」の天平宝字6年条にみえる「生馬鷹山」と「鎌倉遺文」の「鷹山庄」、同地に鎮座する高山八幡宮の歴史について学びます。(案内文より) 報告文ミラー 

 第7回 (11月10日)「忍性の生涯と生駒」 ・・・行基の遺徳と足跡を慕い、布教と慈善事業に尽くした鎌倉時代の高僧忍性の生涯と生駒との深い縁について学びます。(案内文より)報告文ミラー 

 第6回 (10月13日)「行基信仰の興隆と輿山郷墓の誕生」・・・報告文ミラー 

 第5回 ( 9月15日)「行基墓発掘と竹林寺の創生」・・・報告文ミラー 

 第4回 ( 7月14日)「生駒谷の七森信仰‐村の聖地・モリにやどるカミ‐」・・・報告文ミラー 

 第3回 ( 6月16日)「古代・中世の生駒山 ‐神さぶる伊古麻高嶺‐」・・・報告文ミラー 

 第2回 (5月19日)「美努岡萬墓誌発見の経緯」・・・遣唐使の一員として山上憶良らととともに唐に渡って帰朝後従五位下(じゅごいのげ)を授かり、平城京の主殿頭(とのものかみ)として活躍した岡萬の墓誌の内容とその発見の経緯について、当時の貴重な資料をもとに学びます。 (案内文より)/報告文ミラー 

 第1回( 4月14日)「天平文化の光と影ー平城遷都と民衆の苦悩ー」・・・報告文ミラー

16(H28)年 

 第10回( 3月28日)「湛海律師の寶山寺開山」・・・「生駒の聖天さん」と親しまれ、年間百数十万人の参詣者で賑わう寶山寺。荒廃していた山中に入山し、寶山寺を中興開山された湛海律師の生涯について『霊感記』や『生駒山宝山寺縁起』などの文献史料を通して学びます。(案内文より)報告文ミラー  

 第9回( 2月17日)「大仏再建ー公慶上人と生駒」・・・永禄10年に兵火で焼亡した東大寺大仏殿を再興した公慶上人は鷹山氏の末裔。上人と生駒との知られざる絆について『鷹山家文書』を史料に学びます。(案内文より)報告文ミラー

 第8回( 1月20日)「鷹山氏の興亡-中世大和の動乱-」・・・報告文ミラー 

 第7回(12月16日)「役行者伝説と生駒」・・・「続日本紀(しょくにほんぎ)」「日本霊異記(りょういき)」を史料に伝説の謎を解明し、近世の史料から生駒の鬼退治伝説の背景を探ります。(案内文より)報告文ミラー 

 第6回(11月18日)「行基の生涯と生駒」・・・ 「大僧正舎利瓶記」と「行基年譜」について学びます。(案内文より)

 第5回(10月14日)「生駒の古道」・・・古来生駒は大和と難波を結ぶ交通の要衝。人が歩き文化を伝播した生駒市域の古道について学びます。(案内文より)

 第4回( 9月16日)「長屋王の変と生駒」・・・報告文 ミラー 

 第3回( 7月15日)「有間皇子伝説と生駒」・・・報告文 ミラー

 第2回( 6月17日)「神功皇后(じんぐうこうごう)伝説と生駒神社」・・・報告文 ミラー

 第1回( 5月13日)「神武天皇東征神話と長髄彦(ながすねひこ)」・・・報告文 ミラー

 

 

 

 

 

 

  

 

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